経営とは『これを経し、これを営す』

 4月8日はせっかくの花見の週末にも関わらず、大阪はしとしとと春を告げる雨が降っている。今年は開花予想も外れ、天候もいまひとつだったが、この雨が上がると、春の訪れを感じることになるだろう。

 10代や20代を青い春、「青春」と呼ぶのなら、今年で57歳を迎える私の春は、いぶし銀の「銀春」とでも呼ぶべきだろうか?

 自分が子供だった頃の企業の定年は55歳だったから、その頃の人事制度では、私はリタイア組に入り、第二の青春で何を謳歌するかに思いを馳せていたかもしれないが、平均寿命が伸びた現在、残念ながら現役バリバリの経営者である。

 しかし、25年間経営者として生きてきたが、未だに経営の本質が見えない自分がある。少なくとも、経営者としての完成形からは程遠い自分が分かる。

 経営とは、学問でもなく、学歴でもなく、失敗を繰り返す中から学びという経験を得ることを繰り返す「経験学」であると聞いたことがあるが、そういう点で自分はまだまだ未完成の経営者であり、経営に対して、自分の経験を十分に反映できているとは感じない。経営には深遠さがあり、まだその入り口にすら立てていないのではないだろうかと自問自答を繰り返している。

 迷いがある時は原点に回帰するのが一番確実なので、「経営」の語源を調べてみた。

 ”紀元前八世紀、周の詩人が「始祖文王(姓は姫、諱は昌)が霊台という祭壇を築き、建国の象徴としたことを追想して霊台を経始し、『これを経し、これを営す』、庶民これをおさめ、日ならずして成る」と謳っている。土木工事や建築を始める際、まず経と営という作業を行ったという記述である。”

 「経」とは織物の経糸(縦糸)を表し、それが変じて南北の方向(経度)、仏教や儒教における不変の教示を説いた書(経書、経典など)を表すようになった。物事を縦の方向から定義づけると言う色合いが濃いように思う。

 「営」は周囲をとり巻いて守るための陣屋で、「兵営」「営舎」などという言葉に利用されるが、物事に幅を付けていくようなイメージを持つ言葉であろう。

 これを合わせて考えれば、縦の区画を切ることを経といい、外郭の区画をつけていくことを営という。転じて、新たに荒地を開墾して畑を縦横に区切ることを「経営」といい、さらに転じて、仕事を切り盛りすることを「経営」と呼ぶようになったと思われる。拡大解釈すれば、「経」は目標であり戦略、「営」は計画であり組織とも考えることができ、この経と営のバランスこそが企業力であり、経営者が問われる力なのではないだろうか。周の文王は仁成を行い、理想的な統治者として、その後の中国史でも為政者の手本とされているが、文王が経営力というバランス感覚に長けていたのだろう。

 余談になるが、「経済」とは古代中国の「経国済民」もしくは「経世済民」の略であり、国(=世)を治め、民を救済することを意味する。 自分がいぶし銀の経営者になるためには、戦略と組織をあらわす『これを経し、これを営す』と、社会貢献や企業理念ともいうべき『経世済民』を忘れてはならないと思う。

 時間は不要なものを淘汰し、その本質の純度を高めていくが、こうした経営の本質はこれからも変わることは無いだろう。それを忘れないことも経営者の重要な資質のひとつである。

 長らく休筆しておりました「志士奮迅」を再開することになりました。多忙に紛れて、不定期での投稿になると思いますが、今後も思いつくこと、思いを巡らせていることなどを徒然と書きまとめていきたいと思いますので、末永くお付き合い下さいませ。

2017年4月 抱 厚志