機能が集約されすぎると、逆にシンプルなものが好まれるのは自然の法則である
「ものづくり論」についての考察 Part1
産業革命以来、「ものづくり」をしない国が世界の先進国と言われた事はない。
その世紀をリードした国は常にものを開発し、技術を練磨し、
製造によって国を富ませる事を行ってきた。
この事においては、明治維新以降の日本も例外でなく、
富国強兵、殖産興業を掲げ、ものづくりをもって世界の列強に肩を並べたのである。
故に日本がこのグローバリズムの中で先進国と呼ばれ続けるためには、単なる消費大国ではなく、
ものづくりを国力の基本に据えなければならないのは、自明の理である。
しかし最近の日本のものづくりを鑑みると、
その投資する資本の方向性のアンバランスが顕著だと感じることがある。
企業の経営資源とは「人・もの・金」であり、製造業の場合、
その3つに「技術・情報」の2つが加えられて、トータルで5つの経営資源の管理、
分配をおこなっていると考えてよい。
しかし日本の場合、その技術特性を重んじるあまりに、
製造業が「技術偏重」にあると言わざるを得ない。
携帯電話や液晶テレビ、ブルーレイディスクプレイヤーなどの情報家電を見ても、
技術至上主義であり、過度な高機能のハイエンド製品の投入が世界における製品競合力を喪失させているのではないだろうか。
携帯電話を例にとっても、主要な機能は通話とメールである。
これは世界のどの国でも変わらない。
しかし日本のメーカーが開発する携帯電話はTV、音楽、
ビデオなどの溢れんばかりの機能が装備されているが、
世界の需要は前述した2つ(通話、メール)である。
技術志向を高め、どれだけ高機能なものを開発しても、
サービスやコンテンツが追いつかず、その操作性の複雑さは、
他国の消費者にローエンド~ミドルの機能を有した携帯電話を選ばせるのだ。
すなわち日本の携帯電話は高機能過ぎて、世界的なシェアを獲得できないのである。
従来の「いいものを作れば売れる」と言う神話に基づいて、
日本ではハイエンドな製品が開発されている間に、
日本のものづくりは世界から孤立してしまったと言わざるを得ない。
高機能が悪いわけではない。しかし現在では「人・もの・金・技術・情報」の5つがバランスを取りながら製品競合力を構成していると考えるべきである。
いいものが売れるとは限らない。
マーケットが求めるものが売れるのだ。
機能が集約されすぎると、逆にシンプルなものが好まれるのは自然の法則である。
ものづくりは生産技術偏重から、生産管理重視へと移行しつつある。
その中で重要なのは情報の管理と活用であり、日本のものづくりはこの方面において、
他国に大きく水を開けられたと言わざるを得ない。
次回はものづくりにおける情報管理の重要性について論じてみたい。