日本の製造業は決して諦めない


設計・製造ソリューション展顛末記

今年の梅雨は例年になく早い梅雨明け宣言で西日本は夏本番を迎える。
しかし福島原発問題は状況好転の兆しが見えないまま、電力不足が懸念される夏となる。
東電の問題ばかりが取り沙汰されるが、筆者の住んでいる大阪は日本で一番原発依存度の高い地域である。

東京電力の発電量の25%は原子力発電であるが、関西電力の場合は原子力発電への依存度は45%であり、さらなる不足分電力を四国電力から購入しているのが実状である。
今後、ストレステストや近隣住民反対などでの原発運転停止状態が続けば、日本で一番大きなリスクを抱えているのが関西地方であると言う事はあまり知られていない(最近は一部で報道されるようになってきたが)。
阪神大震災では日本全国から支援を頂いて復興を遂げた関西が、今回の東北大震災からの復興の担い手になれれば良いと思っていたが、このままでは関西が復興のお荷物になってしまう可能性すら浮上してきた。

慣れと言うのは怖い。時間が経てば東北大震災直後の極度の緊張感が失われ、
人の心も自分の生活への欲求が中心になってしまう。
しかし本当の日本の苦難の歴史はここから始まり、我々の心持ちが今後の日本の国としての価値を決めると言っても過言ではない。
もう一度、我々は己の現状や未来のあり方に厳しい目を向けるべき時ではないだろうか。

さて、今回は2011年6月22日~24日まで東京ビッグサイトで開催された「日本モノづくりワールド2011」設計・製造ソリューション展出展の顛末をお送りしたいと思う。
日本モノづくりワールドは、世界最大級のモノづくり専門展示会で、「設計・製造ソリューション展」などモノづくりに関連する4つの展示会を併設して開催されている。
特に「設計・製造ソリューション展」(以下DMS)は22回目の開催であり、モノづくりに特化したソリューションプロダクツが日本全国から集まってくる。
弊社も「Factory-ONE電脳工場」という生産管理システムのパッケージメーカーであり、モノづくりのソリューションを提供しているので展示会との関係性は高い。
しかしこのDMSに関しては、毎年、電脳工場の販売店ブースに協賛で展示をさせて頂いてきた。
我々はあくまでも販売店の支援を行い、ある意味では黒子に徹する形で販売実績を伸ばしてきたし、気がつけば国内第2位のシェアを頂けるようになったので、我々が前面に立つやり方をあえて取らなかった。

しかし今年は初めて自社のブースを持ち、エクスとして独自の出展を行なった。
これには東北大震災復興への思いが込められている。
弊社では復興支援サービスとして、被災された東北地方の製造業に一定期間、生産管理システムの無償貸与(オンプレミスで100社、クラウドで100社の限定)を行なっている。
しかし社内には「それだけでは足りない。もっと日本のモノづくり全体の復興支援が出来ないだろうか?」と言う忸怩たる思いがあった。
これまで我々を育ててくれた製造業の復興をITの側面から携わりたいと言う気持ちがあった。

DMSへ自社のブースを出し、我々の考えるモノづくりのあり方を説き、この未曾有の大震災の後に、製造業が何を考え、何を求めているのか我々自身で探ってみよう。
こんな時だからこそ、エクスが自ら出展しようと言う事になった。
何もかも初めてのことであるので、出展を決めたは良いが準備は大変だった。
企画に携わった東京支店の担当者を中心に、社内の要員、展示するソリューション、セミナー、デモシナリオ、カタログなどの印刷手配、DM発送、ブースの造作、販売店への協賛出展のお願い、スケジュールの追い込みなどが次々と行なわれた。

その進捗度合いも不安だったが、一番恐かったのは「この未曾有の大震災からまだ3ヶ月なのに、本当に来場者はあるのだろうか?」と言う事であった。
我々エクスは何故かしら地震と縁がある。主力製品の電脳工場MFの開発が終了し、本格的に販売を開始したのが、平成7年1月初めである。
販売開始から10日も経たないうちに「阪神大震災」が起こった。我々は大阪が本社であり、当時のビジネスは全て関西で行なっていた。
その時の事は今でも鮮明に覚えている。電脳工場の開発段階で内示を頂いていたお客様も被災され、弊社の社員も被災した。世間では生産管理システム、コンピュータどころではなかったが、当時はたった一人、唯一の営業であった筆者は、毎日お客様を回るしかなかった。

会社は立ち上げたばかり、電脳工場の開発で資本金を使い果たし、
食べて行くためには営業に行くしかなかった。
お客様も大変だった。会社が被災し、社員が被災し、取引先や協力会社も被災していた企業がたくさんあった。
そこへ筆者が生産管理システムの営業に行くと、厳しい視線を返される。
時には「あんたはよくこの時期にコンピュータの話ができるね。その感覚を疑うわ。帰れ。」「こんな時に商売するの?」と罵倒された事もあった。

頂いた内示は全て白紙に戻り、取り掛かっていた商談の大半も消滅した。
お客様の仰る通りだと思った。そのような時期に生産管理システムを売り歩く自分に疑問もあったし、許されざる行為を行なっているような気持ちに苛まれた事もある。
故に今回の出展も不安だったし、「本当に製造業の方が来場されるのだろうか?」と言う疑問と不安は大きかった。
また阪神大震災の時と同じように自分たちの思いだけが空回りするのではないかと恐かったが、「こんな時だからこそ我々の本分を尽くすのみ」と決めて準備を進めた。

今思えば阪神大震災の時も日本と言う国は強かった。日本の製造業はその世界一の技術以上にモノづくりにかける情熱を持って、驚異的な速度で復興を実現し、震災半年後には実質GDPをプラスに転じさせたのである。
今回の震災でも同じ力強さが発揮されると信じていた。いや信じたかった。

そんな不安の中で6月22日のDMS初日が開幕された。開場前から入場を待つたくさんの人々の熱気が溢れているを見て心が高鳴る。開幕。入場者が足早に近づいてくる。
第一声は決めていた。「いらっしゃいませ。震災後の日本のモノづくりの未来がここにあります。」
声を掛けた人は笑っていた。「何と大仰なことを言うのだろう」と思ったのかも知れない。
しかしその方は我々のブースの中へ歩を進めてくれた。我々の説明に何度も頷いてくれた。
名刺を手渡すと「社長さん自らが説明員ですか?熱心なんですね。」と笑いながら名刺を出してくれた。

頂いた名刺には東北地方の企業名と住所があった。
大震災に負けない気持ちを持つ製造業があったのだと嬉しくなった。
初めてのエクスの単独出展は同業他社からの興味も引いたようである。当ブースで行ったミニセミナーにも遠巻きで競合会社の人がたくさん聞いてくれているのが分かった。
筆者も3日間で6回のセミナーを行ったが、お陰様で立ち見もたくさん出て盛況となった。セミナーを通じてお客様に伝えたいメッセージは確かに伝わったと思う。
元から地声がでかいのだが、あまりにも講演に力が入り、近隣の他社ブースからクレームも来たのは予定外だったが、2日目が終わった後に、協賛で出展して頂いている販売店の説明員の方や弊社スタッフ30名以上で新橋に繰り出し、最終日のある事も忘れて、夜も遅くまで飲んで懇親を深めた。弊社と販売店はもちろんのことであるが、販売店相互が熱心に情報交換をしているのを見て、創業当時の熱かった販売店との関係を思い出した。

我々はこうした「志」を持っている人に支えられているのである。
我々の使命の重さを感じたのは筆者だけでなく、弊社スタッフ全員であろう。
今回のDMSにはグローバルSCM、多言語化、リアルタイムデシジョン、見える化、省エネルギー、モバイル機器活用、クラウドサービス提供などいくつものキーワードがあった。
我々は開発元として、これらのキーワードをユーザに声として真摯に受け止め、今後の開発計画に活かして行かねばならないと思う。
新しい商談もたくさん頂いたし、自分たちの足りないところもたくさん見えた。生産管理パッケージベンダーとしてシェア第2位という責務の重さも感じた3日間であった。
しかし我々はこんな時だからこそ、製造業に元気を伝えたくて独自出展したのだが、こんな大きな苦難に直面しても、決して改善する気持ちを失わない製造業の現場の声に企業として人としてのパワーを頂いたのである。

日本の製造業は決して諦めない。90円が限界と言われた円高にも立ち向かい、1年で実質GDPを10%以上下げたリーマンショックを乗り越え、これほど大きな天災に見舞われても絶対に負けない。こうした魂のある製造業こそが日本復興の鍵を握ると確信した。

『モノづくりワールド2011』。
過去最多の1633社が出展、84509名が来場。
平成23年6月24日に無事閉幕。
日本の製造業の志の高さを感じた3日間であった。来年も必ずDMSで志を伝えたい。