プロジェクトを大きく成長させるのはトップの十分な理解である


生産管理の裏側にあるものを考察する(2)

今日からベトナムのホーチミンシティに来ている。
今年になって2回目のベトナムであるが、今回はハノイを外してホーチミンシティに絞って渡航した。
昨日までは資料作りに追われていたので、渡航の荷造りを始めたのは前日夜の10時くらいから。
翌日は6時に起きての出発だったし、前々日まで72時間で3時間の睡眠だったので、
とにかく眠たかった。

荷造りもとっとと片付けてしまおうと思っていたのだが、やれコンセントの変換器だ、
携帯のローミング設定、ベトナム語の挨拶程度は覚えていないと、
などに追われているうち午前2時半。
結局は3時間睡眠で眠たい目を擦りながら関空に向けて早朝の出発。
空港でチェックイン、訪問先への手土産を購入し、
ベトナム航空でホーチミンシティへ約5時間のフライト。
そして辿り着いたらゲリラ豪雨のような大雨。ベトナムは雨季真っ盛りだ。
日曜日だったのでベトナム名物のバイクの群れは少なかったが、
雨の中バイク全体を覆うような合羽を着て走行している。
日本では安全の観点から、まず認められない様な危険な雨具である。

現地での訪問をコーディネイトして下さった小島さんとHieuさんと空港玄関で合流し、
1区にある「DUXTON HOTEL」にチェックインをしてから、
ロビーで今後のスケジュールなどの確認を行なう。
Hieuさんはハノイ工科大学の出身で、日本生活が長いので流暢な日本語を操り、
ベトナムでのITや教育、人材ビジネスの可能性についても丁寧に説明してくれた。
ベトナムの人口は8700万人。ベトナム戦争でたくさんの方が亡くなったので、
人口の平均年齢が若い。労働(生産)人口が若いということは、
国としての未来に明るい展望を感じさせる。
また公務員や共産党員は基本的に「二人っ子政策」であるので、
中国と同じく子供への教育投資が積極である。
特に欧米のフランチャイズ(ブランド)を利用した教育ビジネスが盛んである
(日本から進出している公文式も入塾待ち半年の大盛況だそうだ)。
数年前まではITエンジニアが一番の人気職種であったらしいが、
今は教育ビジネスへの就職が人気だと言う。

ホーチミンシティの在住する日本人は約5000人。最近の増加傾向は顕著らしい。
日本人の子弟を対象としたビジネスもたくさんあった。
しかし残念ながら韓国の進出は日本の数倍の勢いであり、
ホーチミンには約8万人の韓国人がいて、7区などに行けば、
所狭しと韓国資本の企業や韓国料理店が立ち並んでいる。

日本国内では「グローバル化」が叫ばれているが、
海外に来ると日本のグローバル化が立ち遅れているのがよく分かる。
1980年代の「Japan As No1」と言われた時代以降、日本は世界を迎え入れる国になり、
世界に求めて出る国ではなくなったのかも知れない。
リスクを取らずとも最低限の生活ができる日本での価値観の変遷が、
海外での国の競争力を弱めていると思う。

しかし本質的には海外でのビジネスはリスクとの戦いである。
文化や宗教、政治、一番大切にするものなどが日本のスケールでは図ることができないので、まずは相手国をリアルに理解して、日本との差異を明確化し、想定されるリスクを洗い出す。
頭で理解しても、やはり現実は考えたシナリオ通りには運ばない。
故にうまく運ばない事を前提としたシナリオプランニングが重要だと思う。
しかし一番大きなリスクは、リスクテイクを恐れて、リスクを取らない事ではないだろうか。
いつまでも目をそむけ続ける事ができるリスクなどは無いものだ。
このあたりが今の日本に欠けている。

しかし全てが異なるわけでもない。
同じ人間だから、人を思いやる優しさなどは万国共通である、
東北大震災での日本人の節度ある行動は、ここベトナムでも高く評価され、
日本人に対する尊敬の念は高まったと聞いた。少し嬉しい気分だった。
明日からベトナムでの企業回りが始まるが、とても楽しみである。
新しい出会いはいつも新鮮で楽しいし、
個人的には海外での「背中がヒリヒリするような緊張感」が好きだ。
何故、労多い会社経営を行うのかと自問する時があるが、
1つは「己の仮説検証」であり、もう一つはこの「緊張感と言う名のスリル」だと思う。

最近、FaceBookを始めたが、プロフィールに「好きなゲームは?」と言う設問があったので「人生そのものがゲーム」と記入した。
我ながら的確な表現である。より確実な仮説を立てて、一番上手い方法を選択し、
ギリギリのところで勝負をする。
社内には迷惑な話かもしれないが、
筆者にとって経営とは「人生で一番大きな実験」であると考えている。

日本にいる時の自分は、いけないと思いながらも、日本の当たり前に染まってしまう。
そんな時に海外へ出て見るのは、自分の原点を想起させてくれるのでありがたい。
結局、人生は永遠の右肩上がりなど無い訳であるから、調子の良くない時に、
回帰すべき原点を持つ者が強いのだと思う。

海外に出ると、ベンチャースピリットと言う「失いかけた原点」を想起する。
グローバル化と言うのは、新しい経済の形であるが、
精神的には失いかけていた日本人の回帰すべき原点、
我々日本人のスピリットの再認識ではあるまいか。

閑話休題。
前置きが長くなったが、前回の続き「生産管理の裏側にあるもの」の続きを考察してみたい。
生産管理システム導入や改善活動と言うのは、最終的には組織や人質(じんしつ)の変化、
成長であると述べてきた。
故に生産管理には仕組みと言う形式としてのエンジンと、
モチベーションと言う内面的な両輪を回して成長を繰り返すものである。
前回同様に哲学的な話であるが、最後までお付き合い願いたい。前回は

1.人を動かすもの。
2.近道と近い道は異なるものである。
3.生産管理とは「学ぶより問うことに重みがある」

と言う事について論じてきた。

4.高い志
改善とは変化であり成長である。
しかしその改善が全ての部署や社員から好意的に受け止められる訳ではない。
イノベーションの重要性を理解しながらも、各現場はできるだけ自分たちに求められる変化が最小のものである事を願っている。
企画しているイノベーションが「A工程」には大きなメリットがあっても、「B工程」には、手続きが煩雑になっただけに見えてしまうことがあり、改革プロジェクトは思わぬ現場からの反発や抵抗を受けることがある。
しかし断じて改革は行わなければならない。全社を俯瞰すると、変化をしないことは退歩である。
こうした状況の中で、ブレることなく前進できる集団には常に「高い志」があると言える。

筆者が過去に携わってきた生産管理プロジェクトでも成否の分かれ目には、
この「志」の有無があった様に思う。
現場の反発は一種のプロジェクトへの攻撃であるから、
プロジェクトにとって決して心地良いものではない。
特に社内の政治的圧力が作用し始めるとプロジェクトメンバーは改革を逡巡してしまう。
だがここで大きな選択肢が現れる。「迎合」か「断行」と言う選択肢であり、
その選択がプロジェクトの成否を分ける要因となることが多いのである。
プロジェクトにおいて「孤立」と「独立」は異なるものであり、決して孤立してはならない。
孤立を恐れるものは迎合を選び、独立を求めるものは断行を選択する。
また志のある集団は断行を選び、志のない集団は迎合を選ぶと言ってもよいだろう。

しかし何事も「高く飛ぶためには膝を折らないと飛べない」ものではなかろうか。
爪先立つものは転ぶと言うが、本当の高みに手が届く集団は、
より高く飛ぶためにしっかりと膝を折るものであろう。
そして膝を折ることができる集団には、必ずと言って良いほど志があるものだ。
志があれば、何度でもやり直しができるし、あるべき姿を求める姿勢は決して現状に迎合せず、勇気を持って改革を断行するのである。
生産管理プロジェクトは今後に製造業の成長の成否を握る鍵である。
プロジェクトは高邁な志を掲げ、その志を回帰すべき原点として保持して行く姿勢が重要だと考える。
プロジェクトメンバーが相互に確認すべき事は、プロジェクトのレゾンデートルであり、それは志と言うものに集約される。
志のないプロジェクトに改革は実現できない。

5.四路五動
プロジェクトには常に4つの路がある。4つの路とは「前・後・右・左」に繋がるものであるが、動き方は5つある。「前進・後退・右折・左折」そして「不動」もまた動き方の一つであると考えたい。
プロジェクトにはいくつかの形があるが、筆者が良く見かけるのは「やってまっせプロジェクト」と言うものである。
社長や経営陣からの特命で編成されたプロジェクトには常に結果を求められることが多い。
プロジェクトが停滞して、トップから叱責されるのが嫌なので、
常にプロジェクトが動いている事をアピールしたくなり、無駄な動きをして、
現場を混乱させてしまうことがある。
トップへの報告の為に「やってまっせ」「やってまっせ」と言いながら、
とりあえず動き回るプロジェクトであり、常に「前進・後退・右折・左折」を繰り返そうとするが、これは一種の目眩ましである場合が多い。

しかしプロジェクト進行場面で動いてはいけない瞬間があることを強く認識したい。
例えば現場で作業日報を入力する仕組みをリリースする場合、
プロジェクトは仕掛けをリリースした後には動いてはいけない、現場は新しい任務に戸惑いを覚え、時には反発を見せるが、ここでプロジェクトは一時的に現場の作業を肩代わりしてでも、新しいシステムの稼動実績を作りたくなるので、無用な手助けをしてしまうことがある。
だがこれは「小さな親切、大きな迷惑」の典型であろう。
最終的には現場が自ら行なわなければならない事の実施期限を、
肩代わりで繰り延べただけであり、これが悪循環すると、
現場は肩代わりを当たり前のように求めてくる。
そうなれば現場を巻き込んだ新しい工程管理の仕組みは画餅に終わってしまう。

改革では「やる・やらない」と言う選択肢を、
「できる・できない」と言う選択肢に置き換えてしまう事が多い。
「やる・やらない」で課題を論じている間は「やるための方法」を探すものであるが、
「できる・できない」に選択肢をスライドさせると「できない理由」探すのが常ではないだろか。
そういう観点からプロジェクトは「できない理由」を与えてはならない。
また前述のようにプロジェクトは「停滞」していると見られるのを恐れるので動きすぎる。
故に経営者も四路五動の意味を理解し、不動の局面の必要性を認めてやらなければならない。
プロジェクトを大きく成長させるのはトップの十分な理解である。

次回に続く。