人間は己を信じないと生きてはいけない(2011年11月分)


生産管理の裏側にあるものを考察する(4)

5日は母校、同志社大学のホームカミングデーで大学に行った。
どの大学もOBとの連携強化により、大学の価値を一層高める活動に熱心である。
「学びは大学まで」と言う感覚の強い日本においても、社会人になってから、
大学との関係を強化する事により、「学びは一生涯」の環境が整いつつあるのかも知れない。
 
個人的には母校の「NPO法人同志社大学産官学連携支援ネットワーク」の理事を拝命しており、本日は年に1度の総会の後に、2名の社会起業家を輩出することになった社会起業家要成熟の卒塾式が開催された。このお二人には社会と企業の新しい共生を実現して欲しい。

今日は少し早めに大学に着いたので、FaceBookへ「同志社大学今出川キャンパスにいます」と投稿したら、たちまち4名の同窓から連絡を頂き、すぐに合流したり、総会の後の懇親会に飛び入り参加をしてもらったり、FBはすごいなと思わされた一日だった。

懇親会には現役の学生もたくさん参加していたのだが、
こうした集いに参加する学生は総じて意識が高い学生が多く、先達との会話にも積極的で、
自分たちの考えははっきり述べるし、またしっかり聞くこともできる。筆者が学生の頃は、
OBや先輩の前では直立不動で、一方的に先輩の訓示に肯いていたのとは、隔世の感があるが、一方で個人のアイデンティティを主張できる姿勢には好感も持てる。

懇親会が終わって、学生を連れて、烏丸今出川へ繰り出し、決してきれいとは言えないが、
学生に安くて旨い酒と料理を出してくれる居酒屋で語り合ったが、少しの間、
自分の時間が戻ったような心地良い錯覚に陥った。

学生は2回生と3回生が中心だったが、話題は、就職活動の悩み、
社会人としての仕事との向き合い方から、福島の原発問題、人生における自己価値の創造、
日本の未来など多岐に渡り、学生の話から、逆に教えられる事もたくさんあった。

製造業に就職希望の学生もいたので、
日本におけるものづくりの重要性や魅力ある製造業の必要性などを話したが、
彼らの考えはものづくりの向こうにある「環境問題」や「食の安全」などであり、
まさに就職においても、その企業の社会性を評価する時代なのだと実感させられた。

アメリカでも、数年前まではアップル社やマイクロソフト社、バンク・オブ・アメリカ、
ウォルト・ディズニー社などが就職人気企業ランニングの上位だったが、
昨年の1位は「TEACH FOR AMERICA」、5位は「PEACE CORP」と言うNPOである。

学生の企業選びの基準は「待遇」から「やり甲斐」へ、
そして「やり甲斐」から「社会への貢献」に変遷しつつあるのだろう。
これはいずれ日本の学生たちにも同じようなムーブメントが到来することは間違いない。

帰宅すると、早速FBに学生たちから、友達リクエストが入っていて、
話の感想や面談のリクエストが来ていた。まさにクイックレスポンス。
このあたりもFBの面目躍如である。

では「生産管理の裏側にあるもの」第4回目の話に入って行く。

6.信じるという事

前回の「理解させるという事」で、太平洋戦争時の連合艦隊司令長官であった山本五十六の言葉を掲げてみた。

「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」

非常に含蓄があり、奥行きの深い謹言であると思う。
この山本五十六の言葉は日本の組織のおける教育の本質を突いたものではないだろうか?
ここから読み取れる事はいくつかあると思うが、筆者が感じる事は以下のようなことである。

(1)まずは考えすぎずにやらせてみる事の重要性について。

(2)相手の実績を適切に評価し、時には言葉を持って褒める事を行なわなければ人のモチベーションは上がらないこと。

(3)しっかりと意見を戦わせ、ラポール(合意)形成を行うことの必要性。

(4)相手を信じて、見守る事が必要である事こと。

(5)教える側にも感謝の気持ちが必要であること。

などである。

今回はその中でも、「信じる」と言う言葉にフォーカスして考察してみたい。

現在のような価値観が多様化した社会では、人間関係が複雑化し、
その相互の接点が希薄なことは確かであり、高度成長期のような無条件の組織へのロイヤリティも少ないし、他人と時間や価値観を共有する事に関しても消極的であると言える。

この多様化した価値観の中で、画一化された手法を持って、人を育てて行くことは非常に難しい。
昨今は会社の理念教育や自己啓発や生涯学習の支援、社内外の教育制度の導入・活用などが盛んであるが、これは逆に人を育てなければ成長のないと言う企業命題解決の必要性の高まりと、多様化する価値観の中での教育の有効性の限界が反比例している状態ではないかと思える。

「守りたい個人の価値観」と「統一したい組織のビジョン」のバランスの難しさとも言えるだろう。

山本五十六の言葉の中には、人を育てる基本的な要素が「信じる」と言う事であると述べられており、
その信じるという事の難しさが戦前も戦後も変わらないことを感じさせる。

「人」べんに「言」うと書いて「信」じるであるが、無条件に相手の言葉を受入れることは難しい。
しかし人を育てたり、ビジネスのパートナーシップを結んだり、
場合によっては結婚などもその部類かもしれないが、
その関係形成の根本には相手を信じることが必須なのである。

言葉とはお互いの価値観を交換するための道具であるが、
「その言葉に同化したい」と言う欲求が「信じる」ということではないだろうか。
だとすれば信じるとは、相手の価値観を受入れるという事であり、
自分に相手の価値感を受入れる度量が無い限り、信じることはできないのだとも言える。

しかしここで注意しなければならないのは、信じ方にも幾通りの形があり、
相手やシチュエーションなどによって使い分けなければならないと言うことである。

筆者が考える「信じる」形とは

(1)信任(信じて任せる)

(2)信用(信じて用いる)

(3)信認(信じて認める)

(4)信頼(信じて頼る)

である。

山本五十六が言うように「信じて任せる」ことも重要だ。

企業活動の最前線に立つマネジメントは、短期での成果を求められる事が多いので、
長期において、教育のために信じて任せることが恐い。
成果が出ないと自らの責任が問われるからだ。故に信任する(させる)ためには、
人を育てる事に関しての会社としての理念、経営層の長期の理解が不可欠だろう。

「信任」がプロセスだとすれば、「信用」は起点である。もちろん信任と信用は表裏一体なので、玉子と鶏の話と同じとも言えるが、任せるためには、まずは用いなければならない。
そのためには用いる相手が「信じぬくことのできるのか」「育てる価値のある素材なのか」と言うことを厳重に吟味しなければならない。確信の無い信用の乱発は組織の混乱を呼ぶ。

弊社は生産管理システムのパッケージメーカーであるが、
お客様には「信じて用いて」頂きたいと考えている。過去の経験から、
この関係を相互に強く意識する事が、システム構築の成功の分かれ目であった事が
幾度もあったように思う。 「信じて認める」とは結果の正当な評価であろう。
組織の成長にはPDCAのマネジメントサイクルを回す事が重要であることは、誰でも理解できる。
信じる行為にも「信じるPDCA」があるように思っている。
Pとは信用、Dとは信任、Cは信認であり、Aとは信頼であるのではないだろうか。

もしそれを是とするのであれば「信認」はCheckであるので、まさに結果の評価である。
信用し、信任してきたことの成果を評価(Check)し、認めた限りは、対策(Action)について、成果を出した人を頼って任せるのが信頼である。

正しく信認するためには、しっかりとした成果を評価基準が必要である。
人の好悪とは無縁なところで、相手の成果を客観視できなければならない。
しかし信じるという行為は、多分にエモーショナルなものであるので、
相手に対する好悪が前面に出てしまうことが多いので要注意である。

そして「信頼」とは前述したように、信じて頼ることであり、
ある意味、組織の上下関係を超えたところに「信」を置くという行為である。
これは相手のモチベーションを高め、さらに次の成長を誘引する要素となるが、
使ってはならない局面が多いことも理解しておきたい。
先ほど弊社の例で言えば、弊社はお客様に「信用されたい」が、「信頼され」ては困ることが多い。
信じて頼られると、顧客の主体性がなくなってしまうことがあり、
それがシステム構築の失敗要因になる可能性が高いのである。

このように信じるには、信じ方があり、その使い方を間違えば、お互いに「不信」を生じてしまう。
人間は己を信じないと生きては行けない。
しかしここで良く考えて頂きたいのは、
「己を信じるとは、己が信じると決めたモノ、人、夢などを信じ抜く」と言うことである。
それができずに途中で信じることができなくなってしまうというのは、
信じ抜くと決めた最初の己を信じることができなかったということではあるまいか。

信じることも信じてもらうことも簡単に見えて難しい。

次号に続く