「電気が足りない」

関西の計画停電について考察する
ゴールデンウィークも最終日の5月6日に自宅で本稿を書いている。
今年は製造業でも9連休の企業が多く、また比較的好天にも恵まれて、
働くことが好きな(休むことが苦手な)日本人には、
休暇の過ごし方は重要な価値観の創出である。
ワークライフバランスの重要性が唱えられる昨今では、
休日の過ごし方が多様化してきたが、まだまだ長い休暇の過ごし方については、
日本人が上手くなったとは思えない。

昨年のゴールデンウィークは東北大震災の直後で、
福島原発の問題も含めて日本中が不安で充満していた頃だった。
やっとリーマンショックからの出口の見えかけた矢先の震災で、
まさに日本崩壊の危機にあった時期だと言えるだろう。
政府や東電の情報公開は常に不確かで、隠蔽の作為に満ちたものであり、
国民にとっては何が真実で、これからの日本がどうすべきかが
全く見えなくなった時期である。東日本でも計画停電や輪番停電も実施され、
街の灯りが消える不安は大きかった。

そして震災から1年以上経った今夏、
関西を中心にまた電力不足が地域別の電力供給需要で一番原発への
依存状況が高く、かつ他地域からの電力購入比率が一番高いのが関西電力であり、
本日未明、ついに日本の全原発が稼動停止した。
これはドイツでも大きく報道され、世界の注目が集まっていることは間違いない。
しかし一方では今回の計画停電が実施されれば、
20年以上、経済沈下を続ける関西経済にとって
致命的な打撃になる可能性は不安を覚える人が多いことも事実であろう。

これまでの報道を整理してみよう。
・再稼働しない場合…関電管内19%電力不足も火発燃料費7千億~8千億円増
『 政府が9日夜の野田佳彦首相と関係3閣僚との協議で示した関西電力管内の
今夏の電力需給見通しによると、原発が再稼働しない場合、
供給力が平成22年並みの猛暑で19・6%不足し、23年夏並みで7・6%不足すると試算した。
原発の停止に伴い、夜間に余剰電力を利用してくみ上げた水を活用する揚水発電が
急減することも影響する。22年並みの猛暑で、
供給体制が十分に整わない7月に需要のピークを迎え、
一部の火力発電所などがトラブルで停止した場合を想定すると、
最大23・3%不足する恐れもある。
18~22年の平均需要で想定すると、8月のピーク時に、
トラブルがない場合は17・2%不足する。
一方、関電の火力発電の燃料費は原発が停止したままでは、
24年度に年間7千億~8千億円増加する。
原発を持たない沖縄電力を除く電力9社の合計では
3兆1千億~3兆8千億円の増加となり、
電気料金の値上げ要因になる可能性もある。』

・関電、電力不足対策で 計画停電の具体案を検討
『 関西電力が、電力不足に陥った場合に管内で実施する計画停電の具体案を
検討していることが18日、同社関係者への取材で分かった。
停止した原発の再稼働の時期が不透明なことから、
電力不足に備えた対策が必要と判断した。
地域別にグループに分け、あらかじめ決められた時間帯にグループが
交代で停電する案を検討している。
鉄道や病院など停電の影響が大きい施設は対象外にする方向だ。
枝野幸男経済産業相は17日の記者会見で 「少しでも不安があれば、
計画停電の計画を立てることが関電管内に限らずあり得るだろう」との認識を示していた。』

ここでは関西電力が問題となっているが、今夏の電力需給について、
資源エネルギー庁は全原発が停止し、一昨年並みの暑さを想定した電力需給を
試算したところ、原発以外の発電所がすべて動いても関西電力や北海道電力、
九州電力の管内で電力不足が生じる見通しとなる。
ただし、火力発電所などでは「毎日のようにどこかで何らかのトラブルが発生している」ので、
100%稼働するとの想定は現実的でなく、
供給力を昨年の平均稼働率97%で試算し直すと、
東北、四国の各電力でも電力予備率がマイナスとなり、
全国的な電力不足は明白だと言える。
昨夏の計画停電のような手段も残るが、
エネ庁担当者は「経済への影響が大きすぎる。
財界からの反発もあり、昨夏並みの節電は難しい」と話している。

大飯原発再稼動決定のタイムリミットは5月5日であり、
これを越えてしまった現在では、
今夏の関西での計画停電はほぼ確定したと言っても良いだろう。
また前述のように火力発電では毎日何らかのトラブルが発生しており、
安定した電力供給は困難である上に、中東情勢が緊迫化する中で、
イランが海上原油輸送の要衝であるホルムズ海峡を封鎖する懸念のほか、
原発停止で温暖化ガス排出量の政府削減目標が危うくなるなど、
「アキレス腱」的不安は尽きない。 

個人的には原発全廃の方向性模索は致し方ないと思うが、
中長期の具体的対策も明示されず、一部の政治的な駆け引きの材料として
原発問題が論議されることには大いに抵抗がある。
今回の東北大震災で原発やエネルギー行政に内在する危険性は全日本国民が強く認識され、
いま原発全廃の課題にしっかりと向き合わなければならないことは分かっている。

しかし全原発停止の問題が引き起こすリスクについても、十分な理解が必要ではあるまいか。
全原発停止によって懸念される電力不足のリスクは、経済停滞だけでなく、
熱中症など生命に関わるリスクや、原発の安全性が脅かされるリスクなどを高める可能性、
社会的な不安増加などがある。

経済が停滞すれば、雇用は削減され、税収は減少し、
赤字国債乱発による世界一の借金大国「日本」は、国際的な立ち位置維持が難しくなる。
さらに昨今の朝鮮半島での政情不安や中国など周辺諸国との軋轢が大きくなる国際事情の中で、日本の経済弱体化は国体維持への黄信号とも言えるだろう。

日本では原発全廃の議論が優位を占めているのであまり報道されていないが、
ウクライナでは旧ソ連時代に起きたチェルノブイリ原発事故を受け、
1990年に国内の全12原発を停止させた。
しかしその結果、電力不足が慢性化し、計画停電が行われたほか停電も頻発した。
そのため経済は低迷し、結局、93年には原発再稼働へと方針転換することになった。
ある意味、社会主義の矛盾で成長限界にいた当時のウクライナと現在の日本を
同義に論じることはできないが、日本も10数年来の低成長で大きな経済成長のネックを抱えているという点ではウクライナの原発事情は参考になる話かもしれない。

また「急な停電が原発のある地域で発生すれば、
福島第1原発事故のように外部電源を失うことにもなる。
電力不足は、原発の安全性にも関わる問題だ」とする専門家もいる。

停電や過剰節電といった事態になれば、生命に危険が及ぶ可能性もある。
まず懸念されるのは、昨夏の東日本の計画停電でも露呈した室温が
28度を超えると発生率が急上昇するとされる熱中症の患者増加だ。
熱中症だけでなく、人工呼吸器など、電力を必要とする機器によって
生命を維持する人にとっては、停電は生死に関わる深刻な問題である。
エネルギー問題と言う大きな論点からの議論もあるが、
人ひとりの命の危険という切実な議論もあると言うことである。

原発が長期停止すれば、原発の"命"にも影響が出かねない。
メンテナンスを請け負う企業が廃業するなど、
必要な作業員が確保できなくなり「いざ稼働しようと思ってもすぐに対応できない」可能性もある。

関西電力の森会長は、原発停止に伴う火力発電の燃料費増加で電気料金を
値上げするかどうかについて「大飯原発3、4号機の再稼働だけでは決まらない」と述べ、
保有する原発全11基の今後の稼働状況をみて判断する考えを明らかにした。
電気料金値上げは当然、企業経営のコスト高に繋がり、たちまちそれを圧迫する。
そしてこの電力料金値上げのコストは、製品やサービスの価格に反映され、
物価上昇を招くだろう。現在、デフレ環境下にある日本では急激な家計圧迫、
それに伴う消費抑制や経済規模や市場の縮小、国際競合力低下などに
繋がる可能性は否定できない。

このような状況下で長期的視野に立てば、日本でのものづくりを捨てる製造業も増加するだろう。
実際、関電管内に生産拠点を多数有するダイハツ工業では、
「生産計画の見直しも考えざるを得ない」として、
計画停電対応の検討に入ったと聞くし、三菱自動車も電力不足に備え、
関電管内の工場で自家発電設備を稼働させる準備を進めているとの報道もあった。
代替生産の準備や部品の調達先の分散なども必要になる可能性があり、
対応が遅れれば、減産などで業績が悪化は避けられない。
企業もまさに大きな転機、まさに分水嶺の上にいる。

政府もこうした企業の声に配慮し、大型連休前には、
各電力会社の今夏の需給計画や各管内の節電目標を公表する準備を進めていたが、
原発再稼動には地元同意が得られていないと、原発を供給力から除外せざるを得ないため、
需給計画が「未定」となり、そうなれば企業側の混乱は必至と言えるだろう。

さらに政府内には「1基だけでも動いている状態よりも、
『0』から『1』に戻す方がハードルは高まる」との声があるようだ。
その結果、原発ゼロが長期化すれば、「国内のどこに生産を移しても電力が足りない」という"悪夢"が現実となりかねない。
日本のものづくりにとって今夏の電力問題は大きな転機となる波乱含みの様相である。
原発全廃か再稼動か?
これまで政府が問題やリスクに目を瞑ってきた事実により、国民は大きな傷を残す矛盾に満ちた、決して正解の無い選択を迫られている。
我々には腸が煮えくり返る程の怒りがあるが、
まずは問題を整理・理解し、早期の決断に迫られていると言えるだろう。
全廃にしても、再稼動にしても、我々国民が真剣に検討した結果を選ばなければならない。
もう政府や電力会社任せの盲目的対応では、国のエネルギー行政はなり行かない。
これは最終的に国としての滅亡を意味すると言えるのではないか。
この矛盾にしっかりと向き合う勇気を持つ我々でいたいものである。
成長とは変化であり、変化とは行動、行動とは決断、決断とは勇気である。