「リスクをとらないことが一番大きなリスクである」

起業家の本質について考察する(2)

ロンドンオリンピックが開幕した。日本はなかなか金メダルの数が伸びないが、
銀・銅も含めるとメダルラッシュ。その試合や競技にはたくさんの喜怒哀楽がある。
流す涙も悲喜交々であり、嬉し涙もあれば、悔し泣きもある。
極められた純度の結果は涙となって流れ出すのかもしれない。
今回の五輪では競技の判定に多くのコンピュータシステムやVTRが導入されて、
判定の確かさが追求されているが、人間の判定が機械によって覆される場面が多く見受けられて、人間がジャッジする「試合の流れ」と言う本来の醍醐味が希薄化したようにも感じられたのは筆者だけであろうか。

オリンピックが国威を示すステージとなり、「参加することに意味がある」ではなく、
「勝つことで社会的成功を得る」と言う価値観が増加した結果、
勝敗にこだわるオリンピックになり、後味の悪い試合もあったように思う。
ロサンゼルスオリンピックは商業イベントとして成功し、
モスクワオリンピックは国際政治の駆け引きの道具として利用された。
このあたりから本来のオリンピック精神の形骸化が進んだと言えるのではないだろうか。
巨大な商業利権となったオリンピックは、国を上げての誘致合戦が展開され、
ロビー活動では、多額の不正金銭授受が横行しているやに聞く。

五輪は国家的プロジェクトによるビジネスであるので、経済的効果が必要であり、
儲からなければやれないのだろう。
決して純白で穢れの無い精神だけではないのである。
しかしそんな五輪であっても、我々は感動する。
五輪の背景にあるものではなく、直向きに競技に打ち込む選手の姿に感動するのだ。
仕事も同じだろう。
コンピュータを中心にデジタル化が進むが、最後は働くことに対してのひたむきな姿勢が感動を生んで人や社会を動かすのだと思う。

さて今回は起業家の本質の2回目である。
前回は日本における起業家を取り巻く環境と
今後の経済復興における起業家の役割の重要さについて考察した。
今回からは自分の起業の目的や経緯、起業後に学んだ事などに、
「今だからこう思う」と言う考えを付加しながら書いてみたい。
本章は自叙伝的記述になってしまうことをご容赦頂きたいが、
日本の復興を担うこれからの起業家や起業家志望の方の参考になればとの思いの発露であると、ご理解頂ければ幸甚である。

父親が脱サラして、商売を始めたのは、筆者が16歳の時であった。
昭和30年代以降の日本の高度成長を支えてきた「滅私奉公」「会社一筋」の会社人の一人であった父親が転勤を命じられたのを期に退職し、独立し商売を始めた時には驚いた。
そうした勇気を奮って事業を始めた父親に誇りも感じたし、もしかしたら将来、自分が父親の事業を継承しなければならない時が来るのかもしれないと漠然と考え始めてもいた。
しかし子供の頃からの己の夢は「小説家」と「教師」だった。
文章を書くのが好きだったし、小学生の頃から地域の歴史に興味があり、
古文書や資料文献を読むのが好きだった。
埋もれた歴史に一条の光を当て、見えない時間の糸を紡いで行くような仕事がしたいと思っていた。

また教えることも好きなので教師を目指したい気持ちもあった。
自分の内側に知識を貯めることは楽しいが、それだけでは単なる「ものしり」に過ぎず、
知った事で人を喜ばせてこそ真の「知識」であると考えていたので、
教えることで学ぶ楽しさを伝えたいと思っていたからだ。

しかし教職課程を学ぶ中で、自分がなりたい教師像と現存する教育の世界との違いに
将来の限界を感じて、教員になる選択肢は捨てた。
今であれば「環境を変えることができなくても、自分は変えることができる」と思えるが、
当時の自分は「こうして自分の理想と現実のギャップに悩むこと自体が、
教職に対しての志望動機が低いからだ」と自分に言い訳をしながら、人生の舵を違う方向に切った。
今考えれば、未熟だった自分の弱さが露呈した判断だったと思う。

貧乏書生暮らしを覚悟の上で、文筆家になろうかとも思ったが、
それは働きながらやれることではなかろうかと思い直し、
父親の事業承継も視野に入れた就職活動を始めた。
就職活動とは自己の棚卸から始まるものだ。己の本質を見極め、
その本質を人生の価値に転化できる会社や業界を探す活動である。
当時の自分を客観視すると、先発完投型投手であったことが分かる。
他人が投げたマウンドでは投げたくないタイプだ。

これを自分の未来に投影してみると、セットアッパー(中継ぎ)として、
父親の事業を承継することに、違和感がある自分を抑えることができず、
最終的には、自分で起業をすることを前提に三菱に就職した。
最終面接では「将来、起業したいので5年で辞めるかもしれません」と公言した。
今、考えれば冷や汗ものだが、それでも採用してくれた前職企業の懐の深さに感謝である。
こうして昭和60年4月から、起業を前提とした自分のサラリーマン人生がスタートした。
上司や後輩、お客様や取引先や仕事に恵まれ、5年の予定が9年半も在籍した。
学ぶことはいくらでもあったし、果たさなければならない約束もたくさんあった。
生産管理システムに出会ったのも、この頃である。

入社して5年目くらいだったと思うが、起業の志を忘れないために、
起業する理由を書き出して自己分析を行った。
当時の資料が残っているが、起業する目的は以下の9つであった。
今、読んでみれば抱腹絶倒、大甘、浅慮の塊のような理由だが、
本質では今も変わらないことも多い。
起業後に気づいた事なども加筆しながら一覧にしてみたが、
読者各位には笑わずに読んで頂きたい。

『なぜ起業するのか。。。』
(1)自分の能力の限界を見極めて見たかったこと。
学業も部活も「本当の勝負は自分が限界と思った瞬間から始まる」と自分に言い聞かせて生きてきた。F1の事故でなくなったアイルトン・セナが同じようなことを話しているのを聞いて、すごく感動した記憶がある。
世の中で一番分かっていそうで分からないのは「自分」ではなかろうか。
そういう意味では、人生とは自分の限界を探し続ける旅のようなもので、限界と思った外側に自分の可能性を見つけた瞬間に、望外の喜びを感じるものだ。
自分が社会人として働いて行く中で、自分を既知の限界の外側に持って行く事ができる手段のひとつが起業だと思った。
起業を通じて自分のポテンシャルを確かめたかった。
自分の能力が無限であると信じていたからだ。

(2)社会的に記憶に残る人物に成長したかったこと。
起業する前は「経営とは社会的な自己表現の手段である」と考えていた。
今ではこの表現の全て正しいとは思わないが、ある意味、今でも本質を突いているようにも思う。
ずいぶんと昔のことだが、某プロ野球選手がインタビューに答えて「自分は記録ではなく、
記憶に野頃選手になりたい」と言っていたことを鮮明に記憶している。
この言葉はまだ学生だった自分に強く響いた言葉だった。
人生80年。
同じ生きるなら記憶に残る生き方をしようと決めた。
社会的という定義が難しいが、革新的な経営を通じて社会にインパクトを与え、
それを自分の成長に変えれば、幸せな人生だろうと漠然と思っていた。

(3)いつも自由でいたかったこと(金で買う事ができない自由)。
いつも自由でいたいと願うのは人間の本性だろう。
反面、組織や集団に属していたいと思うのもまた人間の本性ではなかろうか。
しかし属すると言うことは、集団における規律を守り、時には己を殺すことで組織を生かさなければならない時もあり、そんな時には己が組織に縛られているのではないかと考えてしまう。
故に起業する前には、生涯自由でいるためには、自分で組織を作るしかないと考えていたが、これは正解と不正解が半ばすると言うのが現在の実感だ。
未来に自由な絵を書くことができるのも経営者の特権だが、
組織を守るために慎まなければならないのも経営者である。
ある意味、時間も能力も資金もどのように使うかは経営者が決めることができるが、
己の果たすべき責任を抱えた自由裁量は、最大の縛りであるとも言える。
以前は無条件の自由が欲しかったが、最近は計画や目的に基づいた秩序ある自由が欲しいと思う。
しかし起業家は起業家にしか与えられない自由をもっていて、
それは決して金では買えないものであることは間違いない。
自由であるかどうかは形式ではなく、自分の感覚で決まるものなのだろう。

(4)実家が商売を営んでおり、自分自身も学生の頃から商売をしていたこと。
商売が身近にあったことも起業する動機であったように思う。
父親の事業を継げば「企業家」になれるが、それは「起業家」ではないと思っていた。
ただ脱サラした父親の起業時の苦労も側で見てきたし、それなりの覚悟はできていたように思う。
自分が学生だった頃は、「金が金を生む時代」等と言われて、財テクブームの黎明期であった。
ちょっとした個人輸入(もどき)で儲けた資金を短期間で回し、
多少の利益を得たのも学生時代だった。
しかし金が金を産むと言う風潮には「長続きはしないだろう」と言う読みもあったし、
後年、金が無くなった時も「こんなものか」と言う一種の悟りもあった。
「マネーゲーム」と「商売」と「ビジネス」は異なるものであり、
自分が本当にしたいのは「ビジネス」であると再認識できたのは大きかった。
ビジネスを時間で俯瞰すると必ず「S字カーブ」が存在することが分かる。
最初から加速度的かつ恒常的に成長し続けるビジネスなど、
ほんの一握りしかないのだと言うことも、自分の商売経験から腑に落ちたことである。

(5)仲間と何かを成し遂げたかったこと。
一人でやることの限界を感じていた。
もちろん一人で実現できることが限られていることも分かっていたが、
仲間と成し遂げる喜びが、次の困難を克服するエネルギーとなると思っていた。
人の間と書いて「人間」と読む。
「人」としての内的な成長は必要だが、人間が社会的動物だとしたら、
喜怒哀楽を分かち合える「間」をたくさん作ることだと思い定めていた。
友達はたくさん作ることができるが、本当の「仲間」をたくさん作ることは難しい。
分かち合うと言うことは、シェアすることであるから、働くことに対して同じ価値観を持っていなければならない。同じ価値観を持つ人と出会うことは難しいが、それを確かめ合うことができれば、やれることは相乗倍に増えてくる。
自分の場合は恵まれていたと思う。少なくとも自分を理解してくれる仲間がいたことで耐えることができたことが、思い出せないほどたくさんある。

(6)大きなお金を動かしてみたかったこと。
大きなお金を動かし、ステークホルダーを満足させることができる仕事をする人を
仕事のプロフェッショナルと呼ぶ。
勤め人(サラリーマン)と経営者を優劣で論じるべきではない。
経営者でもアマチュアな人はいるし、
勤め人でも数十億の大きなお金を動かすプロフェッショナルがいる。
それは優劣ではなく、差異なのだと考えたい。
そう考えれば社会人としての優劣は、
仕事に対するプロフェッショナルの度合いで決まるものであり、
プロは自分のためだけでなく、
他人の利益を考えながらお金を動かすものだと起業してから思い直した。
起業前は単に大きなお金を動かすことを夢見ていたが、
起業後は動いたお金の多寡ではなく、
そのお金が生み出した価値を大きくしたいと思うようになったのが本当である。

(7)未来の日本の国づくりで大きな役割を果たしてみたいと思っていたこと。
このコラムでも何度も書いたことであるが、「日本の国力の根幹にもう一度、
ものづくりを据えたい。その実現のためにITの側面から、魅力あるものづくり経営を支援したい」。
これが弊社のレゾンデートルであり、企業理念である。
この想いについては起業前も起業後も変わらない。
弊社における事業の多角化においても、事業のドメインが製造業から動いたことは一度もなく、我々の多角化は製造業と言う事業領域に生産管理システムやIT以外のソリューションを多角的に提供することである。
ITに携わるものであるがゆえに、ITの限界も理解しているつもりである。
システムの構築が我々のミッションではなく、製造業の抱える経営課題を解決することが我々のゴールであるということを常に自分たちに言い聞かせてきた20年間だったように思う。
まだまだそれは十分に達成されてはいないが、「我々の成長は製造業の発展と共に」と言うコンセプトは今後も変わらない。

(8)サラリーマン(勤め人)としての自分に限界を感じたこと。
先程の大きなお金を動かす話と同様である。プロフェッショナルとして自分が生きてゆくためには、起業という環境が一番適していると考えただけである。
決して経営者の肩書きに憧れて独立したわけではなく、自分を活かせる環境が、
起業という形により多く存在するように思えたのであって、優劣ではなく差異として考えていた。
独立後は前職の三菱という看板に守られていた自分を否応なく感じなければならなかったし、経営者に立ったがゆえに、自分の限界を感じつつも、
決して認めることがない生き方ができたのだと思う。
自分がプロとして生きて行くために起業を選んだ。
その選択が間違っていたと思ったことは一度もない。

(9)いつも背中がひりひりするようなスリルが欲しかったこと。
取材を受けると良く聞かれるのが「なぜリスクを冒してまで起業したのか?」と言うことである。
これに答えるのは難しい。
金を追えば金に追われる人生になることは分かっていたし、
夢を追えば夢に潰されることも分かっていた。
勤めていれば心配することもなかったようなことも、起業すれば全て心配の種である。
会社の資金繰りが行き詰れば、個人資産を供出し、謝りに行く時には、
自分の後ろには誰もいなくて、会社存続の危機に直面することが多い。
しかし全て楽しい。
何故なら「自分しか自分を助けるものが居ない状況」はスリルに富んでいるのである。
このきわどい場面を切り抜けるのは自分の力しかないと思うと、
背中がひりひりするような感覚に包まれる。
人によって感じ方が違うので断言はできないが、人はこのスリルが好きなのだと思う。
これを切り抜けた時の快感は、その場に立ったものを魅了してしまう。
「なぜリスクを冒してまで起業したのか?」と聞かれるが、
「リスクをとらないことが一番大きなリスクである」と申し上げたい。
今回は自叙伝的になってすみませんが、次回ももう少しお付き合い下さい。

(追記)
本ブログの内容である「起業家の本質」について、8月25日(土)に大阪の「ITいいともトーキング」と言う企画で話をさせて頂く事になったので取り急ぎご案内まで。
【Facebook】
http://www.facebook.com/#!/events/371372112928920/
【志士奮迅:お知らせページ】
http://www.xeex.co.jp/shishifunjin/info/
ご興味ある方はご来場下さい。