「人間は変えることのできないものに囚われると成長しない」
起業家の本質について考察する(3)
最近、少し秋の気配も感じるが、相変わらずの日替わりで残暑は押し寄せてくる。
関東では雨が降らず、貯水ダムの水位も下がり、水不足が問題になりつつあるそうだ。
今年、大雨でたくさんの被害が出た西日本、雨が降らない水不足の東日本。
同じ国土であっても、全く正反対の問題で悩まされる。こんな小さな日本であっても、
降水量ひとつ人間はコントロールできない。
いつまでたっても人間は天を越えることができないのだろうか。
本ブログとFacebook、イベントを連携させてみたイベント「ITいいともトーキング」は8月27日に西梅田の毎日インテシオで開催された。
休日にも関わらず30名近い方にご来場を頂き、
「起業家の本質~日本経済復興の鍵「起業家精神」~」と言うタイトルで講演させて頂いたが、当日は熱い志と学びの精神を持った人たちに集まって頂き、
熱心に聴講頂いたので、話す自分も思わず力が入り、
1時間の予定が30分近くオーバーしてしまった。
講演では、本ブログの内容をさらに具体的に解説し、
起業を通じて「自分の思いや大切にしているもの」、「日本や未来に期待すること」など、
少し話が拡がり過ぎた感もあったが、講演後の懇親会でも熱い意見交換もあり、
たくさんの出会いに感謝である。
もちろんご来場頂いた方とはFacebookでしっかりと繋がっている。
こうした出会いを大切にして、自分の人生に彩を添えたいと願っている。
さて今回は「起業家の本質」の第3回目である。
前回は少し自叙伝的に自分の起業までの経緯を書いてみたのだが、
望外に多くの反響を頂き、自分でも少し驚いた。元来、自分自身のために、
昔を振り返りながら書いたものだったが、掲載後に先輩経営者の方から、
感想のメールを頂き、「多くの共感と共通があった」と言って頂いたことは素直に嬉しかった。
今回は『起業家に求められるもの』について考察をしたい。
このシリーズは「起業家の本質」がテーマであるので、そろそろ起業家の資質に肉薄してみたい。
「起業家に求められること」とはすなわち「起業家の本質」である。
起業家に求められるものとは、起業家として未来を生き抜くための条件や資質であると考えて、ご一読頂ければ幸甚である。
まずは常々、ビジネスについて、思っていることを書いてみる。
1つ目は「商売とは人が捨てるものを拾って、
人が求めるものを与える」言うことを原点に据えている事だ。
これは作家の宮城谷昌光氏の著書「孟嘗君」の中に出てくる一節であったと記憶している。
起業や商売、人生などにたくさんの示唆を与えてくれる一書であり、
起業を考えておられる方には、ぜひ一読をお勧めしたい。
事業を行っていると必ず課題や問題が発生する。
問題や課題ではなくても事業を成長させるための変化が求められる時があり、
そんな時に必ず思い出すのがこの一節である。
課題が発生した時に人間は「落とし所」と言う
一番無難な対策(アイデア)の選択が最上に思えてしまうものだ。
しかし無難な対処やアイデアの採用は最終的に
資本の大きなものが勝つという前提で考えて頂きたい。
問題が発生した時、まず人間は選択できないであろう対処方法を考える。
「10人が10人とも一番素晴らしいアイデアだと思うが、10人が10人とも、その実現は困難であり、現実味がない」と判断して、耳ざわりの良い「落とし所」と言う、
理想から考えて3~4段レベルダウンしたアイデアを選択しようとする。
しかしこの落とし所というものは、どの企業でも考え付くことであるから、
必ず価格競争になる。
そうなれば資金力やブランドなどが大きな競争要素となり、
最終的には資本の大きなものが勝つ。
まさにレッドオーシャンでの競合と言えるだろう。当たり前の事をしていれば、
資本の小さなものは勝てないのが、成熟した社会の常である。
ここで引用した一節を再考して欲しい。
ここで言う「人が捨てるもの」とは、最初の理想的なアイデア、
すなわち「10人が10人とも一番素晴らしいアイデアだと思うが、10人が10人とも、
その実現は困難であり、現実味がない」と判断したアイデアのことである。
「10人が10人とも一番素晴らしいアイデアだと思うが、10人が10人とも、
その実現は困難であると判断したことを、自社のコンピタンスや独自のスピード、
機動力を活かして実現すれば、まさに一人勝ちではないか」と言う示唆であり、
これはまさに「人が捨てるものを拾う」と言うことだと思う。
また「人が求めることを与える」と言うことは、そのアイデア自体に社会性があると意味であり、
「社会に多くのファンを持つ」=「社会から求められる事業」には、
必然的にその継続性が担保されるのではなかろうか。
前回も書いたが、これからの企業の成長には、その「事業の高い社会性(貢献)」が必要条件であり、
「企業は人なり」と言うが、人を育てるためには、優秀な人材の採用と入社後の教育システムが必要である。
優秀な人材は、自己の価値観を表現できる機会に恵まれた企業に集まる。
そして採用活動において、その自己の価値観と社会性(社会貢献)との関係性が密接になっている事は周知の事実である。
下図をご覧頂きたい。2010年度の米国における文系学生の就職企業人気ランキングである。
数年前の同じランキングでは
「Apple Computer」や「Microsoft」「Google」「Bank of America」
等の先端経営ベンチャーや成果主義的経営の大企業が上位の常連であったが、
2010年では、表中赤い字で記載したNPO(特定非営利法人)が3つもランクインしているのが特長的である。
1990年代の米国では、給与の高く、福利厚生が充実した大企業に人気が集まり、
2000年以降は、就職先決定において、内的充足(やりがい)が重視される傾向が顕著であった。2010年では、そのどちらでもなく、「働くことと社会との関係性」が重視されている。
実際、NPOに就職しても、決して高いサラリーとは言えず、
十分な社会的身分が得られる訳でもない。
しかしハーバードやエール、ブラウン、コーネルなどの優秀な学生の多くがNPOへの就職を求めているのだ。
これは過去の「行過ぎた個人主義の反動」でもあるとも思えるが、
現在の学生は「働くことと社会に役立つことの両立」を強く求めている。
日本でも社会起業家と言う新しい起業スタイルが定着しつつある。
優秀な人材を採用し、育てることが事業のCSF(重要成功要因)であるすれば、
社会性のない企業に優秀な人材は集まらず、その企業は成長しないと言うことだろう。
ボランティア、NPO、社会起業家の全てが該当するとは思わないが、
こうした事業の社会性を重視するトレンドは、まさに「人が捨てるものを拾って、
人が求めるものを与える」と言うコンセプトの具現化ではないだろうか。
ゆえに起業家は落とし所ばかりを探さず、まずは理想と思える(ある種、滑稽に見えるかも知れないが)アイデアに耳を傾けるべきではないだろうか。
次に「変えることのできるものと、変えることができないもの」の選別である。
以前に書いたが、人間は変えることのできないものに囚われると成長しない。
変えることができないものとは「過去、感情、生理現象など」などが考えられる。
過去にこだわって後悔し続けても、それを変えることなど不可能であり、それに囚われていては徒な時間の消費である。
逆に変えることができるものとは「未来、行動や志など」ではなかろうか。
変えることのできない過去から解き放たれて、変えることができるものにこだわり続けることが、最終的に人生の生産性や楽しみを向上させることは間違いない。
しかし森羅万象や人間心理は常に表裏一体である。
「変えることができるものにこだわる」とは「変えることができないものの価値を理解している」ことであり、「変えることができないものを変えれば、さらに大きな価値が生まれるのではないか」と言う考えに気づいているとも言える。ビジネスの発想はまさにここにある。
人生は「変える事のできるもの」にこだわればよいが、ビジネスの発想は「変えることのできないもの」少なくとも「変えることが困難だとかんがえられているもの」に着目すべきである。
ここに大きなビジネスチャンスがあるのだ。
前述した「人が捨てるもの」とは、まさに「変えること(実現すること)が困難なもの」と同義であり、新しいビジネスの基本は「社会性」と「既成概念への疑念」にあるのだと考えている。
既成概念では実現不可能と思われることを事業化して大きな成功を収めた企業は少なくない。
起業家に必要なことは、自分があれば良いと思うことを、
既成概念に囚われずに(自分のビジネスモデルを信じて)やってみようとする事ではないだろうか。
新しいものを創造する場合もあれば、既存のモデルを組み合わせたり、
簡素化したり、交換したりするビジネスモデルもあるだろう。
起業家はまさに変えることのできないものを変えることに心血を注げる人物でなければならない。
今回は大局的な起業家資質を考えてみたが、いよいよ次回は具体的な起業家に求められるものについて言及してみたい。