おー、なんて日だ!!

健康管理と向き合う

新年明けましておめでとうございます。
近年稀な大型の年末年始の休暇でしたが、
読者の皆様は、いかがお過ごしになられましたでしょうか?

お蔭様で、本ブログ「志士奮迅」も掲載を始めて、丸4年となった。
最初の頃は、ものづくりや生産管理システムに関して、思うままに書かせて頂いていたが、最近では自分が普段、大切に思っていることや今の自分を形成している人生の経緯などにも触れさせて頂いている。

軽い気持ちで書き始めたブログだが、今では1ヶ月に一度、
しっかり自分と向き合う機会になっていて、自分の中でもとても重要な月例イベントになっている。
毎回、たくさんの方からメッセージを頂き、その殆どがメールなので、頂いたメッセージにはできるだけ返事を書かせて頂く様にしているが、そのやり取りの中で、浅薄な己の考えを改める啓示を頂いたり、己の自信を深める共感を頂いたり、本当にありがたいことだと思っている。4年間も続けることができたのは、このインディアンの酋長の独り言のようなブログを、多忙にもかかわらず読んで頂いている読者各位に、少しでも何かを伝えたいと思い続けてきた気持ちであったことは間違いない。
本ブログを読んで下さった出版関係の方から、幾たびか、出版のお話も頂いたが、多忙を理由にお断りしてきた。そうしたお話も今後は前向きに考えて行きたいと思う。
この場を借りて、皆様に御礼申し上げるとともに、今後も長くお付き合いをお願い申し上げます。

昨年の12月は筆者にとって、まさに「病院三昧」の1ヶ月だった。
子供の頃からずっとスポーツをやっていたので、怪我も多かったが、自分の体力と回復力を過信し、しっかりとしたケアを行ってこなかった。そのツケが、頚椎や腰椎に蓄積し、ここ数年は腰痛などの痛みと騙しあいながら過ごしてきたのだが、1年前から始まった左前腕・上腕の痺れやこわばりが、両足、右腕に拡がり、数ヶ月前からは、70キロ近くあった握力が20キロに減少し、お箸を持つことに不自由を感じるようになってきた。

さすがにこのままではいけないとは思っていたので、大阪の大きな総合病院で検査を受けたが、頚椎も腰椎もヘルニアと診断され、頚椎は手術を勧められた。
しかし「頚椎の場合、オペをしても効果が出るのは60~70%程度であり、最終的には本人の判断」と医師に言われ、自分の判断をしっかりとしたものにするために、友人の医師にお願いして、セカンドオピニオンとして、別の総合病院の整形部長を紹介して頂き、診察を受けた。
ここでの診断結果は「頚椎ヘルニアであるが、手術をしても効果は期待できないので勧めない」とのことだった。
これにはさすがに困ってしまった。
両者の診断結果が全く異なったものであり、決断するために受けたセカンドオピニオンの診察で、さらに自分の混迷が深まってしまった。
さらに整形外科から、神経内科を紹介され、そこで全身生理検査(筋電図)を受診したところ、更なる再検査の必要性を示唆され、手術すべきかどうか以前に、いったい何科に行けば良いのか分からなくなってしまった。

症状が進行しているのは自分でも感じていたし、健康に何等かの問題があることは分かっていたので、友人の医師に相談して、大阪府立急性期総合医療センター(旧・大阪府立病院)を紹介してもらい、受診の結果、総合的な検査のために12月10日から、1週間の予定で検査入院をすることになった。
実際は検査が順調に進み、予定より1日早く6日間で退院したのだが、自宅へ帰って、一息つきながら、明日からの仕事の準備をしていると、腰のあたりに嫌な予感。あっという間に腰痛爆発。これで3日間動けず、仕事も2日休んでしまった。
仕事は溜まっているので、コルセットをつけながら(空港ゲートで金属検査に引っかかり)、何とか出張もこなし、少しペースが戻ってきたと思った途端に、今度は39.3度の高熱が出る。金曜日、土曜日と我慢していたが、日曜日の夜に耐えられなくなり、救急病院へ。
鼻の中に検査棒を入れられた結果は「A型インフルエンザ」。
2日間食事もしていなかったので、点滴を勧められ、1時間余りを寒いベッドで過ごす。
点滴とタミフルの効果もあったのか、翌日は回復したように思えたが、社内での感染が怖いので、念のために会社を2日休んだ。

コントのバイきんぐではないが「おー、なんて日だ」と叫びたくなった。
ただでさえ稼働日数の少ない12月を病気や病院と隣り合わせに過ごして、お客様や社員、友人、家族にたくさん迷惑や心配を掛けたことは、経営者、家長として汗顔の至りである。
講演では、経営者の条件にいつも健康管理を上げるが、灯台下暗し、自分自身の健康管理の甘さを痛感した。

入院先の大阪府立急性期総合医療センターは自宅から歩いて7~8分なので、ある意味、気楽に構えていたが、検査入院が近づくに連れて、あれもこれもと考えてしまう。
特に仕事から離れてしまうのが怖いので、パソコンや通信機器の確認は何度も行った。こんな時こそ、仕事を完全にオフにしてしまえば良いのだが、逆にストレスになる様な気がして、周囲に迷惑を掛けず仕事ができる個室を予約した。
入院当日は朝一番、家内に車で送ってもらい、受付で入院の手続きを済ませてから、神経内科の病棟に行く。そして看護師の方から、一通り院内の説明を受け、荷物を解いて、検査の準備を始めたが、入院なんて、学生の時に部活の練習で骨折して以来のことなので、ドキドキものだった。

身体測定や採血を済ませて、担当医の医師からヒアリングが行われる。
通院の時とは違って、かなり以前に遡っての病歴や変調の兆しや症状の経緯などのヒアリングをされたが、事前にここ10年間の病歴や症状の推移を一覧表にまとめておいたのが役にたった。
気になることは全部リストアップしていたのだが、資料にまとめてみれば、素人の自分が見ても、明らかに変調の兆しと思われるものがたくさんあり、己の危機管理の鈍さに驚いたが、当時はそれほど気にならなかったのが本音である。小さな問題が積み上がって、気が付けば大きな課題になってしまう典型のような話だ。
しかしたくさん話を聞いてもらえば、楽になる、伝えたことを受け止めてもらえると言う実感は本当にありがたい。これはきっと医療に関わらず、我々がお客さまと接する時や友人の話を聞いている時も同様だろう。「話し上手は聞き上手」と言うが、聞くことによる話の安定化の重要性を再認識した。
ヒアリングの後に、基本的な検査方針や目的の説明を受けるが、これも重要なことだ。検査を受けながら、今後の治療方針も決まって行くのであるから、その検査の方法や目的、場合によっては検査結果の意味なども理解しておくことは、己を知り、リスク対応への手段を確かなものにする。
医師の言葉にできるだけ耳を傾け、痛い検査も、その向こう側にあるものを知っておけば、痛さにも価値があるのだと言い聞かせる。

検査は何度かの筋電図や髄液抽出(背骨に注射を打つ)など6日間で13種類実施。
毎日の検査で終わり、夕方からは病室で休むのだが、実はこの夜の長さが一番堪えた。
病院での夕食は、原則18時だが、平素、この時間は仕事のど真ん中だ。
会食などのイベントが無い限り、帰宅してからの食事は、概ね10時以降であり、日付が変わってからの食事も少なくない。
数年前からのダイエットで、最近食べる量は減ったものの、それでも病院で出される食事の倍は食べているので、病院での夕食を終えてから就寝までの空腹感には、最後まで慣れなかった。
空腹の時は時間が過ぎるのが遅く感じられるものだ。
大部屋では9時半に消灯だが、個室では特に就寝時間が定められていないので、どうしてもいつものペースでパソコンの前に座ってしまう。メールやFacebook、社内のSFAをチェックして、返信やコメントを入れるが、その間もお腹がぐうぐう鳴っている。
いつも時間が足りないと思っていたので、入院すればたくさん時間ができるのではないかと期待もしていたのだが、実際に時間ができてしまうと、入院と言う特殊な環境もあるのだろうが、何もできないことに驚いた。
本を読んでも続かないし、Ipodで音楽を聴いても落ち着かない。
そして最後は、病院に併設されている24時間のコンビニへ出掛けて、おにぎりを買ってしまう。空腹感がなくなれば落ち着くのではないかと思っていたが、ベッドの堅さと狭さがずっと気になるし、照明が十分に明るくないことも気に掛かり、仕事や家族のことばかりが頭の中を過ぎる。
「時間とはその価値を行使できる環境にあってこそ、その多寡の意味が定まる」と言うことだろう。
単調な毎日が続いたが、そんな中で家族の訪問は有難い。
娘たちや家内の顔を見て、言葉を交わすと安心し、家族との繋がりの重みを再認識した。
両親も見舞いに来てくれて、久しぶりにたくさん話をしたが、心配を掛けたことを反省するとともに、もっと両親を大切にしなければならないと痛感した。
家族や両親の有難さや大切さ。
好きなだけ仕事ができる毎日。
当たり前で普通のことこそが大切なことだと頭では分かっていたが、当たり前でない状況に置かれて、初めて平凡であることの幸せが見えるものだ。
「百聞は一見に如かず」である。
健康とは、失いかけて初めて分かる大切なものだとしたら、今度は失わないように努力するのが真っ当な生き方だろう。
「見事に生きる」と言う言葉が好きだが、見事とは何かと考えさせられた。
時間が足りないと言い続けながらも、毎日を当たり前のように過ごせることが、どれほど幸福なのか、思い知った6日間だったとも言える。

自分のどこかに「生と死は常にうらはらであり、人間は死ぬために生まれてきた」と言う観念があり、「死ぬことを恐れるよりも、生き切ることができないことを恐れよ」と自分に言い聞かせてきた。

しかし生き切るとは、当たり前の毎日を少しでも長く持続する事ではなかろうかと思ったりもしたし、自分の周囲の大切なものに感謝し続けることではないかとも思った。

神経内科に入院したが、脳神経外科が同じ病棟だったので、重篤の患者が多く、一晩中ずっと、うめき声とナースコールが聞こえてくる。いつか自分も重い病を患って入院したら、このナースコールのボタンを押すのだろうかと妙なリアリティが頭を過ぎった。
普通でいることが、最大の幸福であると痛感した。

6日間の検査が終わり、何箇所かに問題が見つかり、治療の選択肢がいくつか提案されたが、当面は投薬と通院で対処することに決めた。
今後もどこかで大きな決断をしなければならない時も来る可能性も言われたが、自分の持つ治癒力を信じる事に決めた。それはこれまでの健康への過信を捨てることだと言い聞かせた。

歩くことができる喜び。
話すことができる喜び。
食べることができる喜び。
働くことができる喜び。
当たり前の今日を迎えることができる喜び。
自分の周囲には、思っていた何十倍もの喜びが転がっている。

今回の入院で一番改善されたものは「当たり前の毎日」に感謝する気持ちだったように思う。