探していたものは帰る先
時が経つのは早いもので、先日まで出会う人と新年の賀詞を交換していたのに、気がつけば2月も中旬である。よく言われることであるが、歳を取ると時間の経過が早く感じられる。
小学校の頃、1学年が始まってから終わるまでにとても長い時間があったように思わなかっただろうか。学年が変わって、新しいクラスメートや新しい担任に出会い、授業や遊びはもちろん、球技大会や遠足、授業参観に運動会などイベントがたくさんあって、その一つひとつの準備や実施に掛けた時間の重さが記憶に残る。
現在も仕事やプライベートにしっかり時間を掛けているつもりだが、子供の頃のように、一つひとつのイベントに重みが無いのか、それらが多すぎるのか、軽く通り過ぎて行く感が否めない。
特に仕事に関しては、それに埋没して、印象の薄い時間を作ってしまったと後悔してしまう時があり、それは時間に対する集中力を発揮できていないと言う不安に苛まれる時がある。
もちろん365日24時間集中していることはできないので、時間に対する緊張感のメリハリが必要なことは理解している。
本当の集中力とは、集中できる時間の長さではなく、集中すべき瞬間や局面を見抜く力ではなかろうか。
そう言う点で、大人になると、集中すべき局面が多過ぎて、ずっと集中していなければならないことが、ストレス社会の一因になっているのかも知れない。
集中すべき時を吟味し、気を抜く時は抜くことができる人のストレス耐性が高く、人生や時間を謳歌できる理由なのかもしれない。
経営者として集中すべきことはたくさんあるが、常に組織を能動的に動かし、活性化することは重要であり、なかなか果たせないことだ。
筆者は弱輩未熟であるが、組織を動かすには要素が3つあると考えている。
- (1)何をすべきか。
- (2)いつまでにやるのか。
- (3)誰がやるのか。
の3つである。
どんな局面においても、(1)の何をすべきかと言う議論は比較的たくさん出てくる。
例えば次期システムの提案における現状ヒアリングの場面においても、「これが問題だ」「これを変えなければならない」等と言う課題の討論については活発である。
しかしいざ対策や改善計画などの議論になり、(2)のいつまでにやるのかと言う話になれば、大きくトーンダウンしてしまうが、それは問題や課題を認識していても、メンバーに当事者意識に欠如する場合に多いように思う。これは政治でもよくある「総論賛成各論反対」に近い。
さらに(3)の誰がやるのかと言う話になると、さらなる沈黙になってしまうことが多い。
誰もがその改革の実行者にはなりたくなくて、心の中では「自分が貧乏くじを引く必要などない」と考えているのかも知れない。
しかし組織は動かす人がいなければ回転しない。止まったままの組織は、早晩、その息を止めてしまわざるを得ないと言えるだろう。ゆえに組織には動かす人が絶対に必要なのだが、いざ課題やスケジュールを決めても、自らがその推進者にはなりたがらないので、多くの組織は変化による新しい価値を生み出すことができないでいる。
何が悪いかを論じることは容易いが、誰がいつまでにするのかという話の結論が出ない場合が多いのが日本の企業の特徴であるとも言えるだろう。
これにはいくつかの原因が考えられるが、「何をすべきか」と言うことは「理論や理屈」で決まり、「いつまでに誰がするのか」ということは「感情」で決まるからではないだろうか。
この理論と感情のギャップを埋めることができない組織は、その成長に向けた改善活動を進めることに困難を抱えている。
一般的に、組織の抱えている課題や問題を「理屈や理論」で割っても割り切れず、「感情」と言う余りが生じるものであり、この余りこそが「やる気」や「モチベーション」と言われる「誰がやるのか」と言う意識付けの要因である。
人の行動の起点は「感情」ある場合が多く、前述の「誰がやるのか」が決まらないと言う問題も、この感情という起点作りへの理解や配慮の不足から生じているように感じる場合が多々ある。
この感情(モチベーション)の起点作りに必要な要素はいくつかある。
- (1)相手を正しく理解していること。
- (2)行動の目的を共有できていること。
- (3)行動の成果を正しく評価すること。
- (4)結果を共有し、次の目標に結びつけること。
などがあげられると思う。
まず(1)相手を正しく理解していることであるが、これはなかなか難しい。
人間とは当たり前の様に存在するものに対して、その本質を見抜けないものではないものであり、何年も一緒に時間を過ごしてきたパートナーに内在する二面性に驚くことがある。夫婦や友人、仕事の仲間であっても同様である。
この世に存在するものには必ずといって良いほど、本質の二面性があるものだ。
「静と動」「生と死」「男と女」「陰と陽」「内と外」「光と影」など、その表裏を探せば、殆どのものに二面性があることが分かる。
人間も然りである。性格なども一意に定義したくなるが、これまでの定義では測ることのできない行動を起こすのも人間の本質ではなかろうか。それは人間関係の醍醐味であるかもしれないが、そこを正しく理解しておかないと、組織の中では、活動に支障を来たしてしまう。決して相手を一意に評価しないことは、正しい相互理解の第一歩である。
また相手の環境や行動への制約条件についても、洞察が必要である。環境を変えることがモチベーションになる場合もあるし、制約条件を取り払うこと自体がモチベーションになる場合もある。環境に対して変化することを成長の一種である考えるのであれば、現在の状況を正しく理解することは欠かすことができない。
(2)の行動の目的を共有できていることについては、当然の事としてご理解頂けると思う。特に改革を行う場合には、現状の否定を行わなければならないことが多く、それが単なる否定ではなく、否定することの目的を共有しておかなければならない。
なぜならば、改善に対しては、現状肯定の人たちからの抵抗があるものであり、大多数の人は所属する組織の中における自らの立ち位置を考えて、無用な摩擦を引き起こさないようにするものだからである。あえて組織の中に波風を立て揺す振った、その向こう側にある目標の価値を理解できなければ、自らが改革の推進者となることはないだろう。
また会社からのバックアップ、特に大義名分を全社的にアピール出来なければ、担当者は、最終的に現場との迎合し、改革自体が頓挫してしまうことが多い。
目的の達成こそが、改革の1つ目のゴールであるから、そのゴールの意味を理解しないままプロジェクトは走り続けることができないことは自明の理である。
全ての面で目標の共有は、重要なモチベーション作りの起点であると言える。
(3)の行動の成果を正しく評価することも重要なことである。自分が受け持つ現行業務以外に新しいプロジェクトを持つことは、指名された人にとってリスクであり、新たな負担を強いられていると感じるものであろう。
現場に成果を求める時は、その成果の評価の基準や方法を明確にし、相互に納得できる評価を実施することである。裏を返せば、(2)の目標を達成した場合の評価(報酬と言っても良いだろう)を事前に明確にしておくべきである。
これまでたくさんの企業のシステム導入に携わってきたが、成功するプロジェクトには必ず、会社との間にはギブ・アンド・テイクが、プロジェクトと現場の間にはトレード・オフが存在していたように思う。いくら会社の業務とは言え、現場との軋轢を生じる可能性のある改革プロジェクトの推進を命じるのであれば、会社としても権限の付与と成果報酬を明確にしなければならないだろう。
これは会社が改革に取り組む明確な意思表示であり、担当者にとっては、自分の活動を最終的に担保する要素である。
基準に準じて、甘すぎることも無く、辛すぎることも無く、主観的でも客観的でもない成果の評価は、企業の改革に必須事項である。
最後は、結果を共有し、次の目標に結びつけることである。
改善や改革とは決して一過性の単発イベントではなく、連続的に繰り返し実施されるべきものであり、経営のマネジメントサイクル=PDCAを恒久的に回し続けることであろう。言い換えれば、成果を正しく評価し、決して満足することなく、次のステップを目指して歩み続けることが重要なのである。
こうした不断の努力の繰り返しが評価される風土は、必ず組織の顔となる。組織には必ず顔が必要で、顔の無い組織は生きていないと言えるだろう。
企業にとって人材の育成は最重要課題であるが、社員が成長して、そこに価値を見出せる風土(これが顔である)があってこそ、社員は自らの意思で成長し続けようと考えるものではなかろうか。
個人の能力はその志の高さに比例する。
組織が個人の能力の集合体であるとすれば、志を具現化することに価値を感じることができる組織のみが成長すると考えてよい。
「組織が人を守るのではなく、人が組織を守る」と言うコモンセンスが重要であり、崩壊する組織には、そうした主体性が欠如し、組織と社員の間に消極的な依存関係が存在する。
こうした消極的な依存関係を排除するためには、組織に顔を持たせて活性化し、PDCAの繰り返しの中から、自ら思考する「活性化された社員」をたくさん育成することが必要だろう。
余談になるが、サッカーの香川選手がイギリスに移籍してから、TVでよくプレミアリーグの試合を見るようになったが、やはり世界のトップリーグは違う。
戦術や個々の選手の能力の高さにも驚かされるが、やはり違うのは「個人とチームが持つそれぞれのスピード」ではなかろうか。
改善にもこのスピード感が重要で、期間内に所期の目的を達成できないことが続くと、組織は疲弊してしまう。攻守の切り替えが早ければ、それぞれの思考や行動に求められるスピードが速くなって、無言で意志を疎通させることが重要になり、これを達成できた時の喜びや共感が組織の変革を加速する。
どれほど体制やルールを整えても、最終的にはそれを実践する人なのである。
そのために組織のリーダーは人を見抜く目を持ってなければならない。
個人的には最近、迷いが少なくなった。
ずっと自分の人生や事業の行き先を探してきた。特に起業しての19年間はずっと試行錯誤の中にいたとように思う。
常に次の行き先を探し、自らを変化させ、環境の変化に対応しなければ経営者として生き残れないと自分に言い聞かせて来たが、会社も大きくなり、それなりの影響力と責任を感じるようになったので、常に新しい価値を模索しないと、不安に押しつぶされそうになる。
これは自分が経営者として生きて行くと決めた時に、受け入れるべき事として理解はしていたが、行き先を定めてみても、なかなか自分がその領域に達しないことに苦悩することの連続だったように思う。
しかしある瞬間に、ずっと自分が探していたものが「行き先」ではなく、「帰る所」でないのかと思うことがあり、そのイメージがすっと心の中に馴染んだ。
帰る所を探してみると、意外なほど自分の近くにあった。
それは「創業への思い」。
20年前に「世界一の生産管理システムを作る」と言う思いで作った会社だから、しっかりと「作ると言う会社」へ原点回帰することに決めた。行く先を探す余り、見えそうで見えなくなっていた帰る所だったと思う。
本当に簡単な事だが、五里霧中の霧が少しだけ晴れたような気がする。