五十にして天命を知らず


連日の雨で、衣服にまとわり付くような湿気が鬱陶しい。
今夏の水不足は回避できそうだが、多湿は本能的にイライラを誘発し、
何事にも集中力と持続力が欠如してしまう。
こんな時にこそ「心頭を滅却すれば、火もまた凉し」と言う境地に至りたいものだ。

これはどんな苦痛であっても、心の持ち方次第でしのげるという教えであり、
無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるとい意味である。
杜荀鶴の詩『夏日悟空上人の院に題す』の中に「安禅必ずしも山水を須いず、
心中を滅し得れば自ら涼し(安らかに座禅をくむには、必ずしも山水を必要とするわけではない。心の中から雑念を取りされば火さえも涼しく感じるものだ)」とあることが原典らしい。

最近、「論語の教育」をカリキュラムに組み込む学校が増えていると聞いた。
現代社会において、長幼の序や孝行、五常(仁、義、礼、智、信)の徳性の概念などの希薄化が進んでいるので、再注目されているのかも知れない。

ドイツで鉄血宰相と言われたオットー・フォン・ビスマルクは「賢者は歴史に学び、
愚者は経験に学ぶ」と言っているが、近年の日本は高度成長期の成功とバブル崩壊の失敗と言う近視眼的な経験の上に、国の運営を立脚させて来た様に思える。

国の本質を見極めるためには、もっと歴史を俯瞰した
巨視的な視点に立脚した学びが必要なのではなかろうか。
そう言う面では日本人のメンタリティのDNAはまだ「論語」などの古典にあると言えるだろう。
個人的にも古典に対する造詣が少し深まったので、論語を再読しても、新しい気付きをたくさん発見することが多くなったように思う。

『子の曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。』

論語(為政編)の中の有名な一節である。
意訳すると「私は十五歳の時に学問に志を据えた。三十歳にして学問に対する自分なりの基礎を確立した。四十歳で事の道理に通じて、諸事に迷わなくなった。五十歳になると天命の理を知った。六十歳では他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになった。そして七十歳になると、心のおもむくままに行動しても道をはずさなくなった。」と言う感じだろうか。

今週で53歳になった。
自分が「半世紀+3年」も生きて来たのだと思うと不思議な気もするが、
振り返ってみれば四十代は「不惑」とは程遠い10年だったし、
五十代も4年目になるが、とても「天命」を知ったようには思えない。

もちろん数多の迷いと向き合ってきたが、なかなか納得の行く悟りを開くことは難しく、
カール・ヒルティの「人生において最も絶えがたいことは悪天候が続くことではなく、雲一つ無い晴天が続くことである。」と言う言葉を思いながら、人生でも迷い続けることに迷わなくなることこそが、不惑ではなかろうかと考えた時もあった。

『五十にして天命を知る』。
一般的に「天命」の意味は大きく分けて2つある。
ひとつは「天から与えられた使命」という意味であり、
これは《天あるいは天帝の命令》ということである。
もうひとつは、人間の力では抗し難い《運命》や《宿命》を指し、
天から与えられた宿命や寿命を意味する。
天命の原義は前者の《天の命令》の意味であったが、
それが転じて《運命》の意味を持つようになったというのが通説である。

『自分は五十を超えて「天命」を知っただろうか?』
最近はそう言う自問自答を繰り返してしまう。
自分の運命を考えれば、残された時間の使い方を強く意識するし、
自分の立場から果たすべき人生の命題についても思いを巡らせる時も多い。

個人的には強い宗教観があるわけではないので、神や仏を強く崇拝はしないが、
「天に生かされている」と言う思いは強い。しかし生来の天邪鬼なのか、
天に生かされていることを意識しながらも、天に与えられたもの以上に生き切ってみたい、
天与の命の向こう側に己を置いてみたいと言う欲求に駆られることがある。

「五十にして天命を知る」。深く考えれば「残された時間を強く意識して、己が人生で成し遂げるべきことを知れ」と解釈できるが、それは「五十で己の限界を知れ」と言う意味にも考えられるので、「安易に受け入れたくない」と言うかすかな抵抗感がある。

五十で人生の限界を定めるのではなく、できることなら、最後の日まで、翌日の生き方に新しい目標を持って生きたい、最後の瞬間まで、満たされることの無い己の理想を追い続けたいと思ってしまう自分がある。
これは大きな恐怖心を伴うことだ。形だけ見れば「決して満たされることのない人生」で終焉を迎えるのだから。

天命を知ると言うことは重要だ。
天命を知ることによって、己の人生の価値や方向性を思い定めることは、
生きるという事に重みを増すと言えるだろう。
しかしその価値や方向性を通じた「己の限界を知る」には、
五十ではあまりにも若すぎるとは言えまいか。
残りの人生を天命と言う定められた領域で生きて行くと決めるのは、
自分にとってあまりにも寂しい様に思う。
故に五十にしてまだ天命を知ろうとは思わない。六十になっても、
七十になっても、己の命が絶えるまで、天命の向こう側に己を持って行く自分であり続けたいと思うのは、傲慢の謗りを免れないか。

一生を終えて後に残るのは、我々が集めたものではなくて、
我々が与えたものであるのならば、与えることのできるものを、終生、集め続けたいと思う。
過去に築きあげてきたものだけで、未来を生きることは不可能だ。
人間には終生、新しいものを生み続けなければならない天命があると信じたい。

天命も目標のひとつであるとすれば、それを凌駕すれば、新しい天命に気付くはずだ。
そうした生き方は、時間の密度や純度を高め、人生に興奮を与えてくれる。
退屈な人生は長く、充実した人生は短く感じるものではなかろうか。

『心が変われば、態度が変わる。態度が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる。運命が変われば、人生が変わる。』
と言うのはヒンズー教の教えである。
個人的に、この話は一過性のものではなく、心を変え続ければ、
人生を変え続けることができると言うことを暗示していると解釈したい。

意思のあるところに道は開ける。

五十にして天命を知るには早すぎる。