表現の豊かさが勝敗を決める


2020年のオリンピック・パラリンピックの開催が東京に決まった。
決戦投票ではイスタンブールに大差をつけての圧勝だった。
東日本大震災から、やっと立ち直りかけている日本への、世界からの応援の気持ちが込められた大きな贈り物だと思う。この頂いたプレゼントを本当に大切にしたいものだ。

日本は、福島原発の汚染水漏れ問題への対応など、オリンピック招致での公約を果たし、その計画性高さと経済復興力、そしてオリンピック精神を遵守する姿勢を、世界に発信しなければならないと思う。
公約を確かに果たすことが「おもてなし」の基本である。
今後も福島原発が大きな問題であることは間違いないが、こうした未曾有の震災に遭遇した日本だからこそ、オリンピックを通じて、世界に伝えることができるものがあるはずであり、その日本発のメッセージが世界中に「未来を切り開く勇気を与えるもの」になると信じたい。

56年ぶりの日本開催のオリンピック。
前回の1964年の東京オリンピック当時、私は4歳だったが、聖火リレーが自宅の近隣を駆け抜けるのを、両親に連れられて見に行ったことを記憶している。父の肩車から見える聖火は一瞬で目前を通り抜けたが、無数の日の丸が打ち振り続けられる沿道を見ながら、子供ながらに「オリンピックってすごいものだ」と思っていた。
当時の日本は戦後の混乱期を脱し、高度経済成長へと移行しつつあり、その再生と成長を強く国際的にアピールする国家的イベントだった。
そしてそれは成功裡に終了し、日本は更なる飛躍を遂げた。

東京が開催を決めた今回の夏季五輪招致で、国際オリンピック委員会(IOC)委員の多くが東京の最終プレゼンを勝因の一つに挙げているようだ。
コンパクトな会場設営、懸念された東京電力福島第1原発の汚染水漏れ問題に対する安倍晋三首相の明確な説明も評価されたと報道されている。

ここで強く再認識したのは「プレゼンテーション」の重要性だ。
日本人は従来、プレゼンテーションが苦手で、これまでも数々の重要な局面で、苦汁を飲んできたように思うが、私が知る限りでは初めて、プレゼンテーション能力が全世界から高く評価された場面のように思えた。
日本が本当のグローバル化に対応するための、ひとつの糸口が見つかったように感じた。

「プレゼンテーション」=「提案」と訳す。

仕事柄、企業経営の根幹に携わる情報戦略を提案するので、経営トップやプロジェクトメンバー、現場などにプレゼンを行う機会が多い。
お客様の課題やメリットを考察しながら、提案プランを作成し、そこでは課題発見力や企画力、調整力などが試されるが、最後は何と言っても、表現力ではないだろうか。

どれほど素晴らしい企画を準備しても、それを伝える術が稚拙であっては、相手の心を動かすことができず、それまでの努力は水泡に帰し、提案を待ちわびていたお客様にとっても不満や後悔が残ることになる。
つまりプレゼントは「コンテンツの優秀性+表現スキル」であるということだ。
聞き手を引き込むような語り口があり、驚きのシナリオがあり、いつしか説得が納得に変わってしまうようなプレゼンが理想だと言える。

これを身に着けるためには、一朝一夕の付け焼刃的な努力では叶わない。
何度もリハーサルを繰り返し、何度もシナリオの修正を行う隠れた努力が必要である。
まずは発表者が一番の納得者でなければならないからだ。

稀代の経営者と言われたアップル・コンピュータのスティーブ・ジョブスのプレゼンを見てみれば良い。今ではYouTubeで簡単に見つけることができるので、筆者もこれまでに200~300回は見た。
スティーブ・ジョブスのプレゼンは、プレゼンと言うよりも、立体的なショーであるように思える。
最適のタイミングで繰り出される新しい展開。
パブリックとプライベートが絶妙のバランスで散りばめられた言葉の選択。
聞き手をリラックスさせ、飽きさせない、語りのスピードと声の抑揚。
ステージ全体に大きな拡がりを感じさせるシナリオの立体感。
押しと引きを巧みに使い分ける絶妙の間合いと話のコントラスト。

お客様でプレゼンを行う諸氏には、ぜひ彼のプレゼンを見て欲しい。

ビジネスコンテストなどで審査員を務めさせて頂くこともある。
プレゼンの内容に傾注して聞かせて頂くようにしているが、やはり伝え方の良し悪しが勝敗を決める最後の一手になる場合もある。

正しく、楽しく伝えることのできるビジネスプランは、やはり聞き手が共感を得やすく、自分も参加してみたくなる思いを喚起させる。単なる感情移入ではなく、自然な感情の共有が、聞き手の中に独自の未来を感じさせることができるからだ。
逆にどれほど立派なプランであっても、プレゼンの技術が未熟であれば、聞き手の心を動かすことができないことが多い。聞き手の心を動かすことが出来なければ、その提案が、世に受け入れられることは少ないだろう。

日本では、訥々とした無骨な話し方が「誠実さの表れ」の様に好まれる風潮があるが、それが「意図した無骨(訥々)さ」と「それしかできない無骨(訥々)さ」では意味が異なるのではないだろうか。
伝える内容の純度を高めるために、訥々とした語り口を用いる場合もあるだろうが、得てして言葉数が少ない訥弁の方が、より言葉の選択を難しくするのは当然である。

もちろん「言葉数の多さ」だけが重要だとは思わないが、「言葉の種類の豊富さ」は必要性にも着目したい。
空を見て「青空」と表現する以外にも、「高い空」「蒼天」「突き抜けるような天空」「紺碧の空」など数多の表現がある。
「泣く」「鳴く」もあれば「啼く」もある。
使い分けることができてこそ、文字や言葉の価値があると言うことではなかろうか。

重要なことは、状況や相手に応じて、最適な言葉を選択できることであり、これはまさに表現力の根幹をなすものだと思うが、この言葉の豊かさを自分の会得するためには、日常からの努力が欠かせない。
「高度な会話」とは話し手と同様の言葉の豊かさを持つ聞き手とのコミュニケーションの中だけで創造されるものであり、表現力の高い人とのコミュニケーションは、聞き手にたくさんの気付きを与える。こうした日常の努力とは、己の心のあり方次第でいつでも実践できるものだろう。

また己の内なるものを正しく伝えるためには、プレゼンテーション技術の確かさが必要である。ずいぶんと以前に「プレゼンテーションの上手な人の7つのルール」と言うネットの記事を読んだことがある。
7つのルールとは以下のものだ。
(1) わかりやすさとは、捨てることである。
● 言うべきことを拾い出す力より、言いたいことを捨てる力
(2) 最初に「予告」から入る。
● プレゼンテーションのアウトライン(全体像)を示す
(3) 相手のメリットに焦点をあてる。
● 機能ではなくメリットを売り込む
● 現実の問題を説明し、ソリューションを示す
(4) 文字だらけのプレゼンを避ける。
● スライドの文字は極力少なくし、観客の注意は自分の方に引きつける
● スライドの文字の大きさとして適切なのは30ポイント。行数でいえば6〜7行が限度
● 箇条書きは避け、画像を使う。
(5) 聴衆の興味を持続させる。
● 何らかの応答が返ってくるような質問を投げかける
● 聴衆自らに何らかのイメージを思い描いてもらう
(6) 緊張しない方法。
● あがるのは意識が自分に向いてるから
● 失敗しても責められないと考える
(7) 「間」の効用を使う。

五輪招致における東京のプレゼンテーションは、7つのルールを満たしていた様に思う。
まさに基本に忠実なプレゼンを実施した当然の結果と言えるだろう。

コミュニケーション能力の低下が言われる現代では、プレゼンテーション能力の優劣は、そのまま企業競合力に通じる可能性があり、昨今では「プレゼン力強化」をテーマとしたセミナーが数多く開催されている。
多種多様の製品やサービスが氾濫する今の社会では、情報過多の顧客への特別なプレゼンがなければ、商談は幸せな方向に帰結しないのだろう。

それにはいつもこの志士奮迅に書かせて頂いている「二面性」が重要だと考えている。
「内と外」「表と裏」「陰と陽」「静と動」「心と体」「緊張と緩和」など。
つまり
「内なるものを外に表現する力。」
「裏に潜在するものを表に現出させる気付き。」
「陰(弱点)を陽(長所)に変える試み。」
「不動を一番効果的なアクションに変えるプラン。」
などのことだ。

片方に偏りがちな顧客の考えを、対極に程よく展開する気付きを与える。
これが二面性で心を揺す振るプレゼンではないだろうか。

さて東京五輪開催は、本当に喜ばしいことだ。
しかしただでさえ今の日本では、すべてのものの「東京への一極集中」が進み、その他の都市や地方との経済格差が拡がっている。
この東京五輪で更に一極集中が進むリスクも内在している。

そんなことにならない様に、我が故郷、大阪もしっかりとしたプレゼンで、自らの意思やあるべき未来のヴィジョンを明確にしたいところだ。