真のグローバル化が求められる


雨が多い季節になってきた。
以前にも書いたが、傘を差すのが嫌いなので、梅雨は好きではない。
しかし何かのイベントの度に雨が降ることが多く、「また雨男ですね。」と周囲に揶揄されることに、若干の不条理を感じたりする。
兎にも角にも早く暑い夏がやって来て欲しいものだ。

先月、5月27日から現地1泊(機中泊1泊)の弾丸ツアーでタイのバンコクに行ってきた。
現地いるよりも、飛行機の中にいる時間の方が長いような出張だったが、
たくさんの収穫と気付きもあった。
たとえ短時間であろうと、まずは自ら、その国の土地を踏んでみたいと思うのは毎度のことだ。

出発便は夕方の関空発のバンコク行き、満席の1/3も乗客が無かっただろうか。
出発前数日間のタイでのクーデター報道の影響で、タイへの出国者が減っているのだろう。
実際に現地の話を聞くと日本からの出張の80%は取りやめになっていたそうだ。

我々も出発の前日まで、経営リスク回避のために、
出張を延期するかどうか情報を集めていたが、「危険だ」と言う声、
「何も変わらない」と言う情報が錯綜しており、多少の迷いはあったが、
「こんな時に行けば、現地パートナーからも信用倍増だろう」と言う事で予定通り出発することにした。
もちろん、現地で騒乱に巻き込まれることは無いと思っていたが、空港閉鎖などで帰国できない状態になるのは面倒だとは考えていたが、実際は何事も発生しなかった。

現代社会はインターネットやメディアの爆発的な普及により、
明らかな情報過多の時代である。情報がたくさんあることは、
情報発信者が多数いて、誰でも簡単に情報発信ができると言う事であり、
その発信された情報には、発信者の主観が込められている場合が多く、
必ずしも客観的事実を伝えているとは限らない。

またすべての情報がネットワークによって発信されるので、
1つの情報がコピペやLINKで共有、流布されることが増える。
これは誤った情報も(ある時は意図的に)爆発的に拡散される可能性があると言うことだ。

今回も出張前に「バンコク市内で銃声を聞き、たくさんの人々が路上に伏せた」と言うネットでのニュースも出ていたが、現地へ行ってみると誰も銃声などを聞いたことがないと言う。
マスコミや報道は、どうしても短時間の中で情報を伝えようとするので、
事実の部分的なデフォルメが避けられない。
人々が集まっている様子の一部を大規模デモと報じたり、
一部のもめ事を大規模衝突と報じたりする。

今回も日本では、軍に統制された強力な戒厳令が施行されたとして、
物々しい軍の検問の映像が報道されたが、実際、バンコク市内でもいくつかの検問所は見たが、
日本で報道されたものとは、その緊張度に大きな開きがあった。

報道を目的とするマスコミでも、現状を正しく伝えきれないのは致し方ないので、
この情報過多の時代には、真に価値のある情報を選別する情報鑑識眼が必要であろう。

今回は最終的に、現地のパートナー企業担当者の声を聞かせて頂き、
比較的安全と判断して渡航したが、経営グローバル化の中では、
事業展開する現地に信用できる耳と目を持つパートナーを開拓することが重要であると感じた。

現在の日本の企業における事業のグローバル展開は必須であり、
採用もまたグローバル化が進んでいる。国内における外国人留学生の数は増え、
卒業後も日本企業で働くことを望む留学生が増えているので、
国内各社においても外国人の採用の数が増えている。

弊社でもアルゼンチン、ヴェトナム、中国と外国人採用の数が増加していて、
来年の採用も外国人留学生を検討している。
最初の頃は、外国人を採用することに、高いハードルがあるように感じていたが、
最近では、日本人の学生を採用するのと何ら変わることなく、
採用基準を当てはめるようになってきた。

日本では長らくの不景気で新卒採用も冬の時代が続いたので、就活を行う学生も、
厳しい就職活動の中で、減点法の対象となって、不採用にならないため、
自分が規格外と思われない様に、アピールの内容が画一化してきたように感じる。

自己アピールも志望理由も履歴書も面接の受け答えもマニュアル化しており、
外見と声色、少しだけ伝わってくる内面(キャラクター)以外はほとんど差異がなく、
その中から伸びしろを感じさせてくれる学生に出会う事は稀である。

その点、外国人留学生はキャラクターやパーソナリティが際立つ人が多い。
日本で学んだこと、自分の将来のプラン、自分を採用するメリットなどを強くアピールする。
場合によっては、日本での生活に対する不満を滔々と語る学生もいる。
就活とは企業と学生のマッチングであり、企業に対する迎合や一方的な隷属の始まりではなく、
企業と学生の相互理解であると言うことを再認識させられることが多い。

採用する人の国籍よりも能力重視と言う事であろうが、
採用に置いてもグローバル化は確かに進んでいる。

日本企業の海外における事業展開が必須であれば、
企業を構成する社員の多国籍化は当然の流れであり、日本人の良さを活かしながら、
新しく多国籍な社風を形成することが、今後の重要な課題であることは間違いがない。

日本の格言では「郷に入らば郷に従え」と言うが、グローバル化においては、
この通念が日本人の弱点になってしまうことが多い様に思う。
その土地やその環境に入ったならば、そこにおける習慣ややり方に従うのが賢い生き方であると言う意味であるが、海外においては、外国人との迎合と解釈してしまいがちなのが日本人の傾向ではないだろうか。

しかしグローバル化とは異なる経済や文化の融合であり、迎合ではない。
融合とは、新しい第三の価値の創造であるべきで、並立だけではないだろう。
とすると混じり合う相互が、お互いの価値を主張し、認め合わなければならない。
郷に入らば郷に従う事は、確かに重要ではあるが、
己のすべてを相手の既存の形に当てはめるだけでは、真の融合は起こらないのではなかろうか。

グローバル化の中で、経済的な支援、技術的な支援、人道的な支援など、
日本が求められることは多いだろう。しかし求められたことを、ただ与えるだけではなく、
与えたものが、もしくは与えられたものが、相互の中で新しい価値の創造に繋がらなければ、
その価値は半減である。

こうしたことは頭の中では分かっていたことだが、実際に海外に出て、
そのシチュエーションに立って見ないと分からないことがたくさんあり、
今回もタイに行って、現地のビジネスを自らの目や耳や足で確認してみると、
まだまだ自分のグローバル化に対する経営者としての気持ちの醸成が不十分であると感じた。

どうしても相手に合わせたくなることは、日本人の最大の美徳であるが、
同時に最大の弱点であると言う事を再認識した出張だった。

己を主張することに関して、先進国も後進国もない。
最終的は人と人の「1対1」が基本であり、たまたま、
その相手や活動するフィールドが国外であったと言うことだ。
「1対1」が基本であることは、今後、どれほどグローバル化が進み、
世界がフラット化しても変わる事のないものだと思う。

前述の通り、今回のタイ出張では、たくさんのものを得たり、ギャップを再確認したりした。
間違いなくビジネスは国内外のバランスの上に構築しなければならないことを強く感じたことは自分にとって価値のある事だったように思う。

本当のグローバル化とは、それがグローバルであると言う事すら感じることが無くなる事なのではないだろうか。
少なくともそれほどグローバル化は当たり前のように、我々の隣に居る。

バンコクまでの飛行時間は往復で12時間。

ヘルニア持ちの自分は、このガラスの腰も鍛えなおさなければ、真のグローバル化は程遠い。