成長を定義する

 初夏の風が吹き、街の装いも夏仕様に変わりつつある近頃ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 当方は相変わらず空飛ぶ遊牧民族で、あちこちに出張に出掛け、魅力あるものづくり経営構築のお手伝いに飛び回っております。

 さて今回のテーマは、「成長を定義する」です。
まだまだ成長過程の自分ですので結論めいたことは書けませんが、思う事を徒然と書いてみたいと思いますので、お付き合い下さい。

「人はどこまで成長できるものなのだろうか?」
「人はいつまで成長を続けることができるのだろうか?」
 そういう疑問がいつも自分の中にあり、これに続く疑問は
「この瞬間、自分は成長し続けているのか?」
 そして
「自分にとって成長とは何であろうか?」「それを自分の言葉で定義できているだろうか?」
 という課題に突き当たる。

 言葉のマジックにより、誰もが分かっていそうで、誰もがその本質を定義しないままで放置するキーワードがたくさんあるが、「成長する」という言葉もその一つだと思う。

「成長」の一般的な定義は、大辞林によると以下のようになる。
①(人・動植物が)育って、大きくなること。一人前に成熟すること。大人になること。
②物事の規模が発展して大きくなること。
③個体・器官・細胞の形態的あるいは量的増大を伴う変化。

 簡単に言えば、成長とは変化であり、それは環境や周囲、自分に対して肯定的で上向きな変化であるといえる。
 しかし肯定的であることや上向きであること自体、個人によって定義が異なるので、同じ変化が必ずしも共通の成長であるとはいえない。

 また変化は、大辞林にあるように、量的、外形、外的環境などの変化もあれば、質的、内実、内的環境などの変化もあり、それは見える変化と見えない変化と言い換える事ができる。
 この二つの成長(変化)は、必ずしも相反する関係にあるものではなく、時には平行に、時には垂直に交わりながら、相互補完を形成している。
 成長とは単純な右上がりの直線だけで構成されているのではないという事だ。

 では成長に必要なものとは何であろうか。
私は成長に必要なもの、もしくは成長を加速するものとして以下の4つを挙げたい。
1.志と目標
2.行動と経験
3.学習と反省
4.他者との共有

 まずは「志と目標」である。
1.~4.はマネジメントサイクルの様な相互関係にあるが、サイクル全体の成長方向やゴール(もしくはマイルストン)を持たなければならない。
 360度全方位的に成長し続けることができれば理想だろうが、人間の持つ能力や時間などのリソースには限界があり、これを正しく認識しつつ、自分の長所を伸ばし、短所を改めていく行動が重要だと思う。

 志とは成長の源泉であり、常に目標をより高いところへと導いてくれるものだ。
 これまでお会いした方の中で、成長し続ける人には必ず志と目標があり、それを経営においては「正しい野望」としている方が多い。

 松下幸之助翁は『志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開けるのである。』と言っているが、成長し続ける人は年齢や立場に関係なく、常に純粋な志を持っているのだろう。
 そしてその志を実現するために、言い訳をしない強さを持ち続けることが重要なのだと思う。

 2つめは「行動と経験」を挙げたい。
経験は人によって異なるものである。過ごしてきた環境も持って生まれた能力や個性も人それぞれなので、人の経験やそこから得るものは不均等に見えるものだ。しかし一見、不均等に見える経験も、それを得るための機会(チャンス)は均等に与えられている。成長できる機会は誰にでも均等であり、それを経験に変える行動力の差が、経験の不均等を生んでいる。

 天から与えられた特殊な才能(天賦の才)だけで成功する人など殆どいない。
 それでも成功する人、成功しない人という区分けができるのは、天によって与えられた特殊な才能で成功の可否が決まるのではなく、万人に均等に与えられたものに向き合う真摯さで決まる。
 それを具体的にいうのであれば「時間」だろう。
誰でも、1分は60秒であり、1時間は60分、1年は365日であり、これは万人に共通に与えられたものだ。この共通に与えられたものをフルに活用し、行動により、密度の高い時間を過ごす者が一層成長する。
 行動する勇気は時間を経験に変え、経験は成長に繋がるといえる。

 3つ目は「学習と反省」である。
これは詳しく言うまでもない。学習は成長の起点であり、反省は成長を加速させる。
 学習や反省をしない人は成長しないともいえる。
また学習には学んだことを活かす自分なりのフレームワークが必要であり、むやみに知識量を増やしていけば良いというものでもない。
 それは「経験+反省+学習=成長の加速」という様な公式とでも考えれば良いのではないか。
 学習は成長に拡がりを付け、反省は成長の深みを増す。

 そして最後は「他者との共有」である。
人は人を映す鏡であり、自分を見る周囲の変化に敏感であることで、自分の変化に気付くことができる。
 対面している人の視線に、これまで以上の尊敬や憧憬を感じれば自分は成長しているのであり、逆に視線に軽視や侮りが映れば自分は退化していると感じるべきである。
 人からの見られ方で自分の成長を感じるものだ。

 そして「自分の成功を他者と」、「他者の成功を自分と」で共有することで成長は加速する。自分の成功だけではなく、人の成長を自分のものとすれば、孤立した人生の何倍も生きることができる。
 他者の喜びを自分の喜びとして感じ、自分の成功に謙虚になれるものが成長する。

 成長は周囲との共有、学び、行動や経験など、いくつもの要素が混じり合って起こるものだが、それは決して運任せや他力本願ではなく、自主性で獲得していくべきものであり、成長したいという強い意志で生み出すものだ。
 この強い意志を志というのだろう。

 本稿の結びとして、見城徹氏の言葉を添えたい。
『「運がよかった」は、謙遜でのみ使うべきだ。断じて他人をこう評するべきではない。その言葉は思考を停止させ、努力を放棄させ、成長を止めてしまう。』
 幸運なことに私は、本当に優秀で成長に敏感な経営者にたくさんのご縁を頂いている。
 今後はこの志士奮迅にも寄稿して頂き、紹介していきたいと思う。

乞う、ご期待。

2017年 6月 抱 厚志