志士奮迅

四路五動に生きる

 今年は例年に比べて、夏前の台風が多かった。台風は、太平洋の温かい海水をたっぷり吸収するので、降水量が半端ではない。これも地球温暖化の影響だろうが、お陰様で今夏は水不足に困ることはないように思う。また、ヨーロッパは40度を超える熱波が勢いを振るっている。日本もこれから猛暑になるのかと考えるとうんざりするが、子供の頃は、夏休みには昼間でも外を走り回っていたのを思い出す。50年の間の様変わりである。

 「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」
織田信長が好んで舞ったという幸若舞「敦盛」の詞章の一節である。人間が生きた五十年など、天上に流れる時間に比べれば、儚い夢や幻のようなものであるというのが大意である。

 先日、66歳の誕生日を迎えた。五十年で夢幻であるから、66年も同じようなものかもしれない。しかし、66年を振り返ってみれば、夢幻とは言いきれないほどの喜怒哀楽があったように思う。私はおそらく他人と比して、人生の振幅が大きく、常に立ち止まることなく動いてきたので、同じ時間を過ごしても、一般の方よりも長い道のり(イベントが多い)を歩いてきたように感じる。その道のりの中でたくさんの人に出会い、たくさんの人と別れ、多くの成功と失敗を繰り返し、友を励まし、友に救われ、人生の真理を見たような気持ちになり、何も分かっていない自分に気づき、呆然としてきた。そしてまた立ち上がる。本当に運動量の多い人生だったと思う。

 自分のセミナーや大学の授業で「四路五動」という言葉をよく使っているが、これは孫子の兵法に出てくる言葉である。道は前後左右の4方向に開けている。しかし、動きは前進・後退・右折・左折・不動の5つあるという意味で、人は常に動くことを好むが、重要な局面で動かないことが求められることもあり、そこで『動かないこと』には強い勇気が求められるという意味に解釈している。前述の様に、運動量の多い人生を送ってきた私のようなタイプには苦手なことであるが、最も求められる動きが『不動』であろうと自覚はしている。

 これは、部下をマネジメントする場合も同じである。プロジェクトを任されたPM(プロジェクト・マネージャー)は、常に上司からの視線を意識しているので、プロジェクトが進捗している(動いている)ことをアピールしたがる。故にいつも積極的にプロジェクトが稼働していることをメンバーに求める。しかし、プロジェクトの基本は「四路五動」であり、あえて動かないことが最善の方策である場面があるが、PMはプロジェクトが止まることを恐れて「四路四動」に陥ってしまうものだ。

  • プロジェクトの不動を容認することには、PMに大きな勇気が求められる
  • 不動とはプロジェクトが止まるのではなく、意図的に止めるのである
  • 状況に押されて止まってしまうプロジェクトと、不動を必要な戦術として選択できるプロジェクトは根本的に意味が異なるものであると理解しておくべきだ
  • 成功するプロジェクトには、敢えて不動を試みるPMを許す上位のマネジメント層の理解があるのだ

ということを知っていただきたいのだが、これは自分への戒めでもある。

 私には、敢えて立ち止まる勇気が無い。少なくとも意図的に不動を活用してきた記憶がなく、自分は「四路四動」の人生を送ってきたと感じている。私が持ち合わせていない不動とは『決めない勇気』と言い換えることができるのではないだろうか。人間はいつも選択や決断に迫られている。道が東西南北に延びていると、北上、南下、東進、西進を選ばねばならないと考えてしまうものである。ここで敢えて決めないこと(不動)が、大きな価値を持つ場合があるし、決めかねることがある時に決めずに終わるということが有益である場合もあるように思う。これを『決めない勇気』とでも呼べば良いだろうか。やりたいことが決まらない時は、やらないことを決めることも重要なのだろう。

 66歳になったこれからは、不動の勇気をもって人生に向き合いたいと思っている。これは人生に余裕をもって生きるべきという反省であり、部下に「敢えて、立ち止まってみたらどう?」と四路五動のアドバイスを送れるような自分になりたいものだ。人生百年の時代、まだまだ老け込む歳でもないので、今年も現役バリバリの心持ちで毎日に臨んでいる。しかしこれからは、同じことで何度も後悔を繰り返して良いほどの時間的余裕があるわけではない。年相応の時間密度の高さを実現できなければ、老化の中に埋没していくだろう。くわばら、くわばら。

 加齢による体力的な衰えは仕方がない。しかし、精神的な衰えは鍛え方次第で防止できることが多いと信じている。頭を柔らかくし、柔軟な思考で、新しいものに興味を持ち、古きものに内在する普遍的価値を知り、夢ではなく理想を追い続ける自分でいることで、精神的な老化の防止は可能だと考えている。

 特に、活字にたくさん接することを厭わないことだ。歳をとると資料を読むのが億劫になり、簡易的に読み飛ばす傾向が出てくる。活字を目で追うのが煩わしくなってくるし、内容が頭に入ってくるのに時間がかかる。YouTubeなどで検索し、動画で情報収集をする方が、はるかにスピーディーな対応ができるように思う。しかし動画は流れるように情報が入ってくるので、重要ポイントの度合いは関係なくインプットされ、最終的には何となくイメージは残るが、用語一つ、鮮明に記憶に残っていないことも多々あるのではないだろうか。その点、活字は情報の取得速度がその人に最適化され(自分のペースで読め、読み返しもできる)、記憶に残りやすく、キーワードが点在して残っても、後でそれを結び合わせることで面の知識を再現することができるのが大きな特徴だ。動画とは異なり、イメージは読者が自由に想像できるので、記憶としての価値を維持しやすいといえるのではないか。

 一般的に、加齢と共に記憶力や想像力が低下してくると考えられているし、私自身もそれを感じることがある。しかしこれは体力の衰えとは異なり、日々の生活習慣で一定のレベルを維持できるものであると信じたい。そういう点で「四路四道」で常に考え、決断を繰り返してきた自分には、脳の老化が少し防止できているのではないかと、都合よく考えてしまう。実際、定年などで現役を離れると、一気に老化が進んだように思える友人が多い。それまでの決断の毎日から解放されて、決めない余裕を生きているのかも知れないが、人生百年の時代には勿体ない。これまで積み上げて来た経験やノウハウを、これまでとは違う形で発揮すべき機会なのに老け込んでしまうのは勿体なさすぎる。人生最後の10年を仕事から離れてゆっくり暮らすのは良いが、それが30年も40年にもなるとしたら、個人的には想像するだけで恐怖である。生を受け、生まれて来たからには、受けた恩以上のものを社会に返していく流れこそが社会の発展の基盤となり得るものである。

 現代の若者は、20代から老後の心配をしていると聞く。確かに、税金や社会保険料の負担増加、物価高騰、社会システムの陳腐化、人口高齢化、自然災害多発など不安を煽ることは多いが、20代から老後の不安解消のための利殖を勧めるのは、金融機関の陰謀である。確かに不確実性の高い時代なので、若者たちの不安も分からないではないが、老後のことを憂いつつも、現在をもっとしっかりと生きてもらいたい。現在を精一杯に生きず、老後の生活設計ばかりを語るのは、利口を装う馬鹿者である。

 私はいつも覚悟を決めて生きてきたつもりだ。人生は喜怒哀楽に満ちていて、時には自分ではどうにもならない、受け入れるしかない悲しみや不運に見舞われるが、基本的には覚悟を決めて、今を生きることに徹してきたので、自分の人生に後悔はない。66歳になったが、これからもこの覚悟は変わらない。

  • 色々なことを受け入れる、自分のものとして受け入れる
  • 抗わずに受け入れる姿勢こそ、四路五動の不動かもしれないと考えるようにしよう
  • まだまだ現役で、緊張感やスリルのある毎日を送りたいものだ
  • 私は神も仏も信じないが、天命を信じている
  • 天から命じられたことを知りながら生きることは幸福だと信じている

 最後に「敦盛」の詞章の有名な部分を残しておく。機会があれば、敦盛の物語の無常にも触れていただきたい。

  •  思へばこの世は常の住み家にあらず
  •  草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
  •  金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
  •  南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
  •  人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり
  •  一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
  •  これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

2026年7月 抱 厚志

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