敬虔な想像力が自然との調和を創造する。

 外を歩く人々は、皆、日陰を探して歩く。
今夏は記録的な酷暑の日が続いていて、秋は本当にやってくるのだろうかと疑問が頭をよぎる感じだ。

 最近の日本は地震、大雨、台風、熱暑と異常気象が続いていて、それは20年ほど前から兆しがあった様に思うが、ここ10年さらに加速されて、日本が祟られているではないかと思ってしまうほどである。

 だが、北極、南極の両極地から赤道までの全域で、大きな気候や環境の変化が起こっている。環境の変化に伴い生態系も変化し、南洋に生息する海洋生物が日本でも確認されたという。日本を取り巻く海流の温度は間違いなく上がっているのだろう。

 こうした変化を知りつつも、自然の前では人間は無力である。
人間は地球環境を破壊することはできるが、それを修復することができずにいる。AIやIoT、ロボット、量子コンピュータと社会の価値を変えていくものは創れるが、いまだに自然をコントロールすることはできない。

 それは科学技術だけの問題ではなく、人間が社会学的にもまだまだ未成熟なことも要因だろう。
インターネットの登場など、テクノロジーの進化で人や社会、国家などの関係の形が変わり、情報取得も活動の場面も世界規模になり、我々は個人、国民だけでなく、地球人として生きていくことを求められているはずだ。

 環境問題一つをとっても、我々が地球人としてのコンセプトや哲学を持って考えるべきことであるにも関わらず、先進国と新興国は、その歩調を揃えることができず、環境破壊は加速されるばかりだ。お互いの利害の前に、地球人としての視点や感覚を捨てていると言ってもいいだろう。
未だに人間は社会的に未成熟なのだ。
なのに急激なテクノロジーの発展が、人間を過信させ、爪先立たせながら足元が見えない状況を作っている。
自然はそんな傲慢になった人間に怒っているのかもしれない。

 畏敬の念を謙譲に変えてこそ、人間の成長はある。
天神地祇を敬い、奢ることなく自然との真の調和を望み、実践すれば、自ら真の地球人としての役割を見出すことができるだろう。

 個を全てとする人を個人と呼ぶならば、社会にのみ己の生き場を求める者を社会人、そして地球全体の調和を最大の目的として生きる人を地球人と呼ぶことができるだろう。
それらの全ては必要なものだが、技術革新に伴う近年の社会の変化は、あまりにも個やその集まりである社会(国家、民族など)などを偏重する方向に傾倒しているように感じるのは、私だけだろうか?

 昨今の技術革新は凄まじい。
Industry4.0や第4次産業革命などと言われ、ITを中心とした社会の変化は、まさに「収穫加速の法則*1」の示す通りの様相だ。
*1 収穫加速の法則(The Law of Accelerating Returns)とは、テクノロジーは指数関数的に発展するという法則であり、広義には「進化の速度は本質的に加速していく」という法則でもある。アメリカの発明家であり未来学者であるレイ・カーツワイル氏によって提唱された。

 技術革新では、新しい技術や能力が創出されると、今度は新たなものを作り出すために、その最新技術が利用されるというプロセスが繰り返され、前段階の産物の上に、次の成果を重ねることで、テクノロジーは指数関数的に進化する。

 インターネット、IoT、仮想通貨、ブロックチェーン、RPAや協働ロボットなど、毎月といっていいほど新しいコンセプトが現れて、次のイノベーションを予測させる。
AIに至っては、2045年にシンギュラリティが起こり、社会の主導権を人間から奪うなどという事が真剣に論議されている。

 まさに世の中にはバズワードが満ちているが、収穫加速の法則が示す通り、バズワードがキーワードに変わる速度が大幅に短くなっているのが現状ではないか。
そしてその指数関数的な成長加速に、生物学的に成長を重ねてきた人間の感覚や感性が追従することができず、最新技術を前に、倫理、法制、精神、環境などの様々な問題が置き去りになっている。

 人間はこれまで万物霊長の最上位として生きてきた。
しかしそれは人間が天神地祇を敬う心をもって、自然(地球)と調和、共存しながら創造を繰り返してきたからだ。
指数関数的に発達する技術は、決して天地に反目するものではなく、より一層の天地との調和を構築するために用いられるべきである。

 以前にも書いたが、人とサルの違いは
 ・直立歩行する
 ・言葉を使う
 ・道具を使う
 ・火を使う

 というのが一般的な定義であるが、私はそれに2つ「想像力」と「創造性」を加えたい。

 想像力は目標や目的の具体化であり、モチベーション向上の源泉である。
苦境に立った時、それを克服した自分を想像することで、人は強いモチベーションを保持することができる。
動物は苦境からの逃避、回避が第一優先だが、人はそれを通り抜けた己を想像し、苦難に立ち向かうことができる。
この培われた想像力こそが、人類の成長を支え、人が万物霊長の頂点に君臨し続けることができた要因だろう。
苦難や苦境が人類を強くしてきたとも言える。

 人は今、地球規模で解決しなければならない大きな課題を抱える苦境に立っているが、こういう時にこそ、DNAに宿る人類特有の想像力を発揮しなければならないと思う。
それは最新の技術に奢ることなく、天神地祇を敬う心を忘れず、自然環境との「調和を想像」し、その想像を実現する「未来を創造」するということではないか。

 想像力は創造性を高め、人類の潜在能力を引き出すことができる。
敬虔な想像をもって苦難と対峙し、独自の創造性で真に豊かな未来を作っていきたいものだ。

 最近の技術革新で、とてつもないイノベーションを引き起こすことができそうなものが数多く誕生してきている。
アップル創業者のスティーブ・ジョブズは「創造性とはいろいろものをつなぐ力だ」と言った。
昨今のテクノロジーをつないでいけば、指数関数的に技術革新は進むに違いない。

 しかしスティーブ・ジョブズはこうも語っている。
「技術だけではだめだ。技術がリベラルアーツ*2や人間性と出会い、”結婚”することで人の心が喜ぶ(歌う)ものが生まれる」。
*2 リベラルアーツとは「職業や専門に直接結びつかない教養」の事であり、古代ギリシャに起源を持ち、自由7科(文法、修辞、論理、算術、幾何、天文、音楽)を基本とする「人を自由にする学問」を意味する。日本では「教養」と訳されることが多い。最近では、専門教育の準備段階としての一般教養科目と区別するため、最近はリベラルアーツを看板に掲げる大学が増えている。(出典:朝日新聞掲載「キーワード」)

 創造とは専門的分野からだけ新たに生まれてくるわけはなく、ジョブズの言葉のように、技術同士をつなぎ合わせ、新しい可能性や価値を拓くことも創造である。それには専門的な知識だけではなく、一見、無関係に思える広範な教養も重要だという事だろう。

 創造性という事については一つ付け加えておきたい。
2012年、アドビシステムズが実施したクリエイティブ(創造性)について面白い調査結果が出ている。「自分自身を表現する言葉は?」という設問に問いに「クリエイティブ」を選択した人は、調査対象となった米英独仏日の5カ国中、日本が最下位だった。

 しかし「最もクリエイティブと思う国は?」という設問に対して、アメリカを大きく引き離して日本がトップだった。つまり日本は、世界から創造性豊かな国であると思われているにもかかわらず、自分たちの創造性に自信を持てていないのだ。
これは非常にもったいない。
日本はもっと自分たちの創造性に自信を持って良い。

 日本人は基礎技術よりも応用技術(製品化技術)に長けている。
これは技術と技術をつなぎ、新しい創造を行う力を持っている証かもしれない。
この創造性豊かな日本人が、地球的視点を持ち、自然との調和を想像できれば、未来は大きく変わる可能性がある様に思える。

 治世や経営の要諦は、天・地・人(天の時、地の利、人の和)にあると言う。
最近は人に固執するあまり、天や地の声に耳を傾けることが少なくなりすぎていまいか。

 AIやロボットなど最新のテクノロジーが偏重されている中で、天神地祇の話は滑稽に感じられるかもしれないが、ここでは特定の宗教観の必要性を伝えたいのではなく、その偏重が持つ、傲慢な危うさに警鐘を鳴らしてみたいという事だ。

 人類の高邁で敬虔な想像力によってこそ、調和の未来が創造されるのだと信じている。

2018年8月 抱 厚志