新型コロナで加速するDXの波

 コロナ禍は長期化するだろう。
少なくともそれを前提にして、生活や経営を考えておかねばならない。
最近の研究では、太陽光と多湿がコロナ感染拡大の抑止力になる可能性があるとの発表もあったので、これから梅雨や夏場になって一服感が出るかもしれないが、また寒くなればインフルエンザと同様に第2波、第3波の感染拡大も考えられる。

 言うまでもないが、その後の国内外経済の停滞も長期化する可能性が大きい。
アメリカは既に世界恐慌以降最悪の失業率を記録しているし、中国のGDP(四半期)は史上初めてのマイナス成長だ。世界恐慌を上回る不況となる可能性も指摘されている。

 前回も書いたが、今回のパンデミックは、社会、経済、政治の大きな転換点であり、このコロナ禍で生活やビジネスなど社会の様式や価値観は大きく変わるだろう。

 これまで何度も黄色信号は点灯していた。
今回のコロナ以前にも、世界経済や地球環境は忍び寄る危機を迎えており、持続できる社会を作る取り組みによる抜本的な変化が必要だった。その変化が、今回のコロナ禍によって加速したというのが正しいのではないかと思う。

 先日の安倍総理の会見で政府から4つの「新しい生活様式」が発表された。
(1)「一人ひとりの基本的感染対策」と(2)「日常生活を営む上での基本的生活様式」は、現在の新型コロナ感染拡大防止に対する事項が定義されている。特に個人や家庭という最小単位を対象としたものといえるだろう。(3)「日常生活の各場面別の生活様式」では、コロナ禍の家庭外における行動規範について述べられていて、できるだけ人との近距離接触を避けるために通販やオンラインの利用などITの活用を推奨している。

 そして最後の(4)「働き方の新しいスタイル」は、ITを利用したさらなる働き方改革の推進を提唱している。働き方改革はここ数年、政府が積極的な取り組みを推奨してきたが、お世辞にも企業への浸透が十分であったとはいえない。
これには複雑な理由が絡み合っていると思うが、簡単に言えば
1. 企業側は労働時間の短縮などで生産性が低下することを恐れた。
2. 従業員側は会社との関係の希薄化を恐れた。
ということになるのではないだろうか。

 日本の企業は相変わらず労働集約型経営から抜けておらず、労働時間と生産性が比例する関係(錯覚や思い込みという一面もあるが)にあり、十分な合理化が進んでいないことを表している。

 日本の労働生産性はアメリカの65%程度、主要先進7カ国の中で、データが取得可能な1970年以降、最下位に甘んじているのが現状であり、我々が自認するほど生産性は高くないのである。
それでも1990年代の「Japan as No.1」と言われた時代には良いものを作れば売れたが、サプライチェーンのグローバル化、消費者嗜好の変化、経済的にはリーマンショック、モノのサービス化などで、モノに対する価値観は大きく変わってしまった。現在では良い機能や性能だけではなく、マーケティング、設計、販売、調達、製造、物流、保守の一連の流れの中でのものづくりが求められている。

 働き方改革はある意味、労働時間を短縮し、生産性を向上させるために、成果主義と表裏一体になっているが、日本ではなかなか成果主義が根付かない。それは目標管理や成果測定の手法が曖昧であったり、評価者自体の未成熟が挙げられたりするが、こうした背景が相変わらず「労働時間を成果と同一視する傾向」を助長している。

 「仕事」とは成果で評価されることであり、「作業」とは時間で評価されることであると思うのだが、そういう点で日本には圧倒的に作業者が多い。
結局、労働者も「成果」では正しく評価されていないのではないかという不安があるから、労働時間を唯一のアピールポイントとして考えてしまう。少ない時間で多くの成果を上げる事が正しい事だと分かっていても、積極的に労働時間を減らすことに不安を感じており、個人の突出した高生産性は周囲との摩擦を生んでしまうのではないかという職場全体主義のような考え方が未だに蔓延っている。

 このように経営者や労働者の意識がレガシーなままでは、政府が声高に働き方改革を叫んでも、社会全体としての働き方改革の進み方が遅々としたものにならざるを得なかったのは必然だといえるだろう。

 結局、社会が新しい価値観を受け入れるためには、相応の時間がかかるのだろうという事だ。但し、強烈な外的な圧力がかかった場合はこれに当たらない。

 そして今回のコロナ禍がまさにその強烈な外圧になるのではないだろうか。
あれだけ進まなかったテレワークやWebミーティングの導入は、あっという間に当たり前のものとなった。そうせざるを得ない状況に追い込まれたからだ。
満員電車を避けるためには、時間差出勤は当然のことであるし、現金に触れないようにするにはキャッシュレス、FAXによる受発注や押印、伝票発行や郵送のためだけの出勤は、EDIや電子契約システムに取って代わられそうな勢いである。今後もできるだけアナログな接点を減らし、その企業の業容にあった形でのリスク回避が行わなければならないだろう。

 ここでの変革のキーワードは、経営や仕事、働き方のデジタル化、すなわち「DX(デジタルトランスフォーメーション)」であることは間違いがない。
極端なことを言えば、経営や仕事のプロセスなどをDXできない企業は、アフターコロナで企業競争力を失ってしまうだろう。

 しかしこれは今回のコロナ禍で期限が前倒しになっただけで、実際は「2025年の崖」と言われていた問題である。
「2025年の崖」とは、複雑化・老朽化・ブラックボックス化した既存システムが残存した場合に想定される国際競争への遅れや我が国の経済の停滞などを指す言葉である。

 2018年に発表された経済産業省の「DXレポート」では、2025年までに再構築ができないレガシーなシステムが最大で年間12兆円の経済的損失を生み、このシステムの刷新に対応できない企業は、2025年以降、その企業競争力を喪失すると述べている。
DXレポートでは、保有しているシステム(特に基幹システム)のレガシー化について問題提起されているが、その本質はレガシーなシステムによって運用されているブラックボックス化している業務プロセスや働き方、前近代的な経営方法に問題があることは間違いない。

 DXとは、現行のアナログな業務プロセスを単にデジタル化するのではなく、オンラインやデジタルを前提とした新しい業務プロセスを構築するということである。
「現行のやり方ありき」ではなく、「デジタルありき」という発想から取り組まねばならない。

 また、2025年まではまだ時間的な猶予があるように感じられるかもしれないが、軽減税率の導入に伴い、2023年10月には「インボイス制度(適格請求書等保存方式)」が導入されることが決まっており、2024年1月にはアナログ通信回線の全廃によるEDIのインターネット化、クラウド化への移行必須などのイベントがある。
これらは単独のオペレーションとしてのデジタル対応ではなく、関連する業務全体、もしくは企業や業界がDX化していかねばならないことを示している。
そしてここ近年、IT業界は慢性的なエンジニア不足であり、これは2025年の崖を越える事ができる企業とできない企業を選別しなければならない理由となるであろう。しかし、ここは奮起し、お客様のDX化に協力を惜しまないで対応したいところだ。

 まだ遠くにあると感じていたDXへの波であるが、今回のコロナ禍によって、一気に現実的なところへ引き寄せられた。
今回のような社会的なインシデントが発生した場合、従来のレガシーな業務プロセスや働き方では対応できない事が露呈したといえる。日本は大震災(地震)に見舞われるたびに、BCPやBCM(事業継続管理)の必要性が問われてきたが、残念ながらそれらが企業経営に深く根付くことはなかった。言い方は悪いが、「喉元を過ぎれば熱さを忘れる」の繰り返しで、未然のリスク対応への投資よりも目の前の業務に追われるうちに、BCPやBCMは有耶無耶になってしまうことの繰り返しだったといえるだろう。震災後の景気低迷もあるので、いつ発動されるか分からないリスクマネジメントやBCM体制の構築などが、どうしても後回しになってしまう事も理解できる。

 しかし、今回のコロナはこれまでの大震災とは本質が大いに異なるものだ。
震災は発生した時点が底であり、通常であればそこから徐々に復興の道を辿ることになる。
だが今回のパンデミックの場合は底が分からない。
・これから安定的に社会は秩序を取り戻すのか?
・第2波、第3波などが繰り返され、結局、治療薬が開発されるまで事態は収束しないのか?
・治療薬やワクチンが開発されたとしても、世界へ公平に分配されるように生産が追いつくのはいつなのか?
底がどこであるのかわからないのであれば、冒頭に書いたように、この問題は長期化することを前提とすべきである。

 しかし、十分な準備期間を経ないままパンデミックがやってきたので、半ば強引に在宅勤務や時間差勤務に入った企業も多いだろう。そして、まだ十分な評価はできないと思うが、やはり生産性が下がったと感じる企業が大半なのではないだろうか。
繰り返しになるが、働き方改革やBCM対応、DXによるレガシーからの脱却は数年前からのテーマであったし、対応も始まっていたので、コロナがその変化を加速させたのだ。
IoTやAI、協働ロボット、RPAなど新しいテクノロジーが働き方や企業経営を変える可能性は指摘されていた。

 総じて言えば、このコロナ禍という未曾有の災いを、レガシーから脱出の転換期として捉え、企業規模の大小に関係なく、業務プロセスをデジタルによる合理化へ取り組まなければ、2025年の崖は越える事ができない。この崖はITシステムを入れ替えるだけでは渡れないし、新しい時代に即応した企業価値、業務プロセスや組織、意識の改革などが前提となってくる。それはITシステム構築以上に時間とコストが掛かるものだ。

 故に今からでも準備を始めておかねばならない。今から始めても遅いくらいである。
今後の景気の不透明さは不安であるが、新しい企業価値の創造や意識改革などの方針やコンセプトづくりは進めていく事ができるはずだ。

 このコロナで今後は「オフラインの無い社会」「デジタルで繋がるビジネス」の到来が加速されるだろう。マーケット(消費者)と製造業(生産者)は、ネットワークを介して24時間のデジタルな繋がりが求められる時代がやってくる。

 一つ目のアフターコロナのキーワードは、今回書いた「2025年の崖を越えるDX」である。次回、二つ目のキーワード「循環型経済への対応」について考察してみたい。

2020年5月 抱 厚志