経営とはバランスである


「ものづくり論」についての考察 Part2

前回はものづくりにおける日本の方向性を書いたが、
今回はもう少し踏み込んで、ものづくりにおける情報管理の重要性を論じてみたい。

人・もの・金・技術・情報が現在の製造業の主たる経営リソースである事は周知である。
世界市場において大きな飛躍を遂げた1970年代の日本は、
優秀な人材や組織、競合力豊かな製品、輸出黒字によって得た巨額の外貨、
次々と優秀な製品を繰り出す技術力を保有していた。
ジャパン・アズ・№1と言われ、「かいぜん」「かんばん」などという生産管理用語は世界中の工場の標準語となり、欧米の列強は日本のものづくりを世界最高峰と認知したのである。

 しかし1980年代に入って、この状況は変わり始める。
米国を中心とする諸外国が経営の主軸に情報戦略を置き、
グローバルなSCM構築をもって、逆襲に転じたのである。
時代は将に「工業化社会」から、「情報社会」への変革期を迎えたのだ。

70年代~80年代前半で発展した金余りの日本の企業は、
挙って不動産や金融商品に積極的な投資を繰り返し、
最終的にはバブルとして弾けるが、「情報はタダ」に近い意識しかなかった日本では単なる省力化を目的とした消極的な情報化投資しか行われなかった。

その当時に日本の製造業を動かしていたのは個人の「知恵」であり、
知恵とは個人の経験則の集まりである。
情報化社会の到来は個人の知恵ではなく組織的な「知識」を求めた。
知識とは情報の体系的分析に伴うマーケティングであり、製品戦略であり、
そこには情報管理の重要性が内在している。
しかし日本では、その情報管理の有意性が深く考察される事も無かったので、
世界市場を意識した情報戦略を展開した企業は少なかった。

そして1990年代には圧倒的な人件費の安さと労働量をもった中国が大きく台頭し、
復権した米国と激しい市場での争いを繰り広げる事になる。
その間、覇権を失った日本は更にハイエンド製品を中心とした
「技術至上主義」を推し進めるのであるが、
これがグローバルな市場における孤立を招いたと言わざるを得ない。
海外では情報が重要視され、日本では技術が最優先されたのである。

日本の技術中心のマーケティングは、
欧米中の情報戦略中心のマーケティングに破れたと言わざるをえない。
経営とはバランスである。
その平衡は情報によって保たれるのである。
情報とは人・もの・金・技術を動かす動機や原動力であり、
人体で言えば神経の働きをなすものと考えられるが、
日本の企業では効率良く神経系統を形成する事ができなかった。

21世紀は情報社会から知識社会への転換が言われている。
モノを売る時代から、サービス(ソリューション)を提供する時代の到来である。

日本のものづくりは欧米に比して売上高に占める情報化投資の割合が半分以下であり、
現在も情報軽視の傾向は否めない。
再び日本のものづくりが世界に覇権を唱えるのであれば、
世界を意識した情報戦略(管理)が必須であろう。

それは驚くほど身近にあるものではないだろうか。

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