日本は技術立国でなければならない
魅力ある製造業に求められるものを考察する Part1
尖閣列島に端を発した日中の領土問題は両国マスコミの不要な煽りもあって、
必要以上に両国間での反日・反中感情の高まりとなっているが、
グローバル社会の中で隣国との不安定な関係維持は決して国益になるとは思えない。
中国では鄧小平の時代に国内の安定化(意思統一)のため、
徹底的に反日を掲げた教育が為されてきたので、
この教育を受け続けた中国人世代の価値観を一変させる事は容易ではないだろう。
日中間の緊張は過去に起因するものかもしれないが、経済は現在であり、近未来である。
現在は破竹の勢いの中国経済もその足下は定かではない。
一人っ子政策を推し進めてきた影響で、
20年後には日本の10倍以上の規模で高齢化社会が押し寄せてくることは確かであるし、
「法治国家」ではなく「人治国家」と言われる特殊な社会構造は、
世界市場のデファクトとなりうるものでもない。
日中関係も正しく過去を清算しながら、未来に向けた成長ベクトルを共有できなければ、
両国の未来にとって不幸な事である。
今回は趣向を変えて、魅力ある製造業経営(起業)に求められるものについて考えてみたい。
なぜこのテーマに至ったのかを紐解けば、
ここ20年の製造業の企業数の減少があまりにも急激であり、
日本の国のあり方自体に大きな危機感を抱いたからである。
今年、日本のGDPは中国に抜かれたが、それでも世界第3位の経済大国である。
その日本のGDPの半分は製造業が叩き出していると言われているが、それが顕著になったのが、
今回のリーマンショックである。
リーマンショック以前の日本は継続的な貿易黒字を出し続けていたが、
急激な不況の到来で製造業が在庫削減に伴う、生産調整に入った以降、
瞬時に貿易赤字に転落した。
それだけ日本の輸出依存度が高かった証左であり、
その輸出品の大半は製造業が生産した製造物だったと言うことであり、
日本の経済においてまだ製造業に負うところが大きいと言うことである。
しかし製造業に視線を転ずると、年々その企業数が減少している。
上の表を見て頂きたい。これは経済産業省から出典された製造業
(従業員10名以上の事業所)の事業所数の推移の一覧表である。
平成11年には約16万あった事業所が、平成20年には13.5万に減少しているのが分かる。
また平成11年には825万人いた製造業での従業員が、平成20年には758万人に減少している。
しかし製品出荷額は、約280兆円から約325兆円に増加しているが、これは
(1)生産性の向上
(2)海外への工場展開(海外からの調達)
(3)自動化推進
(4)高価値製品へのシフト
などが要因だと考えられる。
だが問題は製品出荷額が伸長したにも関らず、
付加価値額が減少傾向(もしくは現状維持)にあることだろう。
出荷額が増えても、付加価値額が増えない。すなわち儲かっていないのである。
残念ながら筆者は最新のデータを入手していないが、
平成20年がリーマンショックの始まりであったとすれば、
その後も製造業の減少、小規模化は間違いないだろう。
また下図(平成21年工業統計速報)を参照頂きたい。
ここから分かる事は
(1)事業所数は3年連続の減少、従業者数は2年連続の減少、ともに過去最大の下げ幅。
(2)製造品出荷額等、付加価値額は2年連続の減少、ともに過去最大の下げ幅。製造品出荷額等は24産業すべてが減少。
(3)事業所の開業・廃業・継続状況。
(4)平成21年の事業所数のうち、20年に存在した継続事業所は93.6%。開業等の割合は0.9%。
⇒開業等の割合が高い産業は、電子部品・デバイス、飲料など
(5)廃業等の割合は3.3%
⇒廃業等の割合が高い産業は、電子部品・デバイス、情報通信機械、電気機械など。』
また日経新聞も以下のように書いている。
『製造業の事業所数(従業員10人以上)は前年比7.1%減の12万6501となり、
3年連続で減少した。
従業者数は7.8%減の702万人で、2年連続の減少。
どちらも比較可能な統計がある1950年以降最大の減少率で、
リーマン・ショックが日本の製造業に及ぼした影響の大きさを示している。』
中小企業庁が以前発表した「中小企業白書 2007年版」によると、
1966年から2004年までほぼ一貫して廃業率が開業率を上回っている。
廃業する理由で最も高いものは、「需要の頭打ち」、「競争の激化」である。
つまり、"集客が難しく、"売上の確保"が出来ない事が
最も大きな廃業の理由になっているのである。
この表からは推論の域を出ないが、競争の激化については、
海外との競争もより一層厳しくなってきているのではないかと思われる。
総括すれば、日本全体から製造業が無くなって来ているのである。
明治維新以来、富国強兵、殖産興業の中心を担ってきたのが製造業であることは間違いないが、
資源の無い国である日本が世界の列強に打ち克つためには、産業革命(産業構造改革)を実現し、
日本を世界の製造立国として位置づける事が必要であったと言える。
功奏して80年代には「ジャパン・アズ・№1」と言われ、
新興国の手本と言われるように成長した。
しかし再度言う。日本全体から製造業が無くなって来ているのである。
言い換えれば、日本のものづくりに魅力が無くなってきたと言うことであろう。
これは国家危急の秋と言わねばならない。
資源の無い日本が世界の先進国であるためには、
日本は技術立国でなければならない。
しかし技術を魅力に変えるものづくり経営が求められているのではないだろうか。
総じて日本の製造業に明るい未来があるようには思われない。
今回は問題提起のみに終始したが、次回からは魅力あるものづくり、
魅力ある製造業経営について考えてみたい。