【第8回】自動車の大衆化を実現した「フォードシステム」

 今夏は観測史上、最も暑い夏だったらしい。茹だるような毎日に閉口された方も多かったと思う。私自身は仕事で車を利用せず、公共機関で移動するので、ラストワンマイルは徒歩になることが多い。また自分が日焼けで肌荒れが酷くなるのを避けるために、長袖のジャケットを着用するので、この酷暑の中の徒歩移動は暑さと汗との戦いといえるような毎日だった。

 「地球の気候変動は間違いなく進んでいる」。これは万人の共通認識だろう。国連では既に「地球の温暖化」を越えて「地球の沸騰化」といわれており、この言葉から想像できるように、かなり状況は悪化していることは間違いない。産業革命以来、人類が負荷をかけ続けてきた地球が悲鳴を上げているのだろう。早期に全世界による抜本的対策を講じない限り、人類は自らの首を絞めてしまうことになることを危惧せざるを得ない。

 気候変動対策は、先進国や新興国など各国の思惑が交錯し、利害が一致せず、なかなか世界規模の施策が打てない現状であるが、人類には素晴らしい前例がある。1980年代に大きく取り上げられた「オゾン層の保護」を目的とするウィーン条約だ。冷媒としてアンモニアの代用で世界を席巻したフロンがオゾン層を破壊し、地球は宇宙から飛来する紫外線を防ぐことができなくなり、地球環境の破壊、最終的には人類滅亡の危機が叫ばれた時期があったが、最近ではオゾン層破壊の問題は耳にすることがなくなった。「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」(2019年11月、136カ国が批准)により、オゾン層の破壊物質は1989年と比較して99%減少。オゾン層は世界のほとんどの地域で2040年、北極では2045年、南極でも2066年には、1980年のレベルまで回復することが報告された。こうした素晴らしい前例があるので、現在の気候変動に対しても、人類が一つになれば必ず克服できるものと信じたい。

 閑話休題、ここからは本来の生産管理史(改善の系譜)に戻りたいと思う。

 前回まで、産業革命からその後の科学的管理法への転換について、テイラー、ギルブレス、などの活躍を中心に論じてきた。従来の非科学的な労働集約型生産ではなく、作業やマネジメントに科学的な視点を取り込むことによって、生産性を高め、作業者の労働環境も改善する方向へと舵を切り始めた時代だといえるだろう。

 そして今回は、生産管理方式初期における集大成ともいえる「フォードシステム」について解説したいが、フォードシステムを語るには、まずその立案者であり、実践者であったヘンリー・フォードについての理解が必要である。

Henry ford 1919 自動車王と呼ばれるヘンリー・フォードは、1863年、米国ミシガン州ディアボーンのグリーンフィールドで、農場を経営する父ウィリアム・フォードと母メアリ・リトゴット・フォードの間に生まれた。若い頃から機械いじりが好きで、知り合いの時計の分解、修理などを行っていたらしい。デトロイトで見習い機械工として就職し、その後、農場経営、蒸機機関の修理工、照明会社のエンジニアなどを経て、1901年、ヘンリー・フォード・カンパニーを創業し、チーフ・エンジニアに就任したが、翌年にはこの会社を去った。その後、1903年に資本金2万8千ドルでフォード・モーター・カンパニーを設立したが、これが現在のフォードにあたる。

1910Ford-T

 同社は1906年にN型フォード、1908年に後継車種としてT型フォードを発売した。T型フォードは全体的にシンプルな構造であり、運転や修理の容易さが好評だった。当時、他メーカーの多くの自動車が2000ドル以上で販売されていたのに対し、フォードは販売車種をT型フォードの一車種に限定することで850ドルの低価格で提供し、自動車の大衆化により、瞬く間に市場を席捲していった。最終的にT型フォードは1927年まで生産され続け、累積の総販売台数は1908年の販売開始から19年間で1500万台以上、この記録は45年間破られなかった。

 またフォードは福祉資本主義の先駆者であり、安価な製品の大量生産で得た利益を労働者の高賃金で還元する「フォーディズム」を創始した。また、価格や性能のシンプルさにおいても、消費者を優先すべきであるというグローバルな経営ビジョンを持ち、フォードシステムなど多くの技術革新や斬新なビジネスモデルによって、強力なコストダウンを推進し、自動車販売の裾野を広げた。ビジネスモデルでいえば、米国全土や世界の主要都市にフランチャイズシステムによる販売店網を確立したことなどは大きな成果といえる。最終的に20世紀初頭、特定の富裕層のための贅沢品であった自動車を一般庶民に普及させたことは、自動車の新しい市場を拓いた「自動車産業の育ての親」といえるだろう。

 さて、フォードを自動車王に押し上げた「フォードシステム」について説明したい。フォードシステムはコンベヤーシステムとも呼ばれるが、ここではフォードシステムに統一する。フォードシステムの基本コンセプトは「少品種大量生産」であり、「標準化」と「移動組立ライン」という2つの特長を備えている。前述のように、フォードは自動車の大衆化を目指し、その実現ために強力なコストダウンが必要とした。そのためにフォードは生産する車種をT型フォードに限定し、カラーも黒一色に統一した。

 生産する車種を限定することにより
1.資材調達や部品生産の多様化が抑制され、一度に大量の部品が生産可能となりコスト抑制が実現
2.工程や作業が標準化され、作業を習熟していない非熟練工でもすぐにラインへの投入が可能となり、即戦力化が実現
3.現場は同一作業を繰り返すので学習機能が発揮され、歩留まりが大幅に向上
などの標準化に関するメリットが創出された。

 また、移動組立ライン(ベルトコンベヤーによるライン生産方式)は、1913年に導入され、
1.生産主体を工程順に配置
2.各工程の作業時間の均等化
3.生産工程全体の同期化
4.作業員の移動が減少し、各工程での間接作業時間が短縮
などの実現により、極めて能率的な生産システムを構築した。結果、T型フォードのコストダウンにより販売価格を下げ、自動車の大衆化に貢献した。

 フォードシステムには、以下の作業の二大原則がある。
1.もし避けることができるならば、一歩以上歩んではならない
2.決して体をかがめる必要はない

 この原則により
1. 組立工程間における部品の最短距離での移動  
2. ワーク・スライドや搬送装置の利用による次工程におけるワークの位置取り最適化 
3. スライド組立ラインの利用による部品配膳の最適化
などが実現された。これらには先達であるテイラーやギルブレスの考え方が反映されている。

 さて、フォードシステムの生産システムとしての特長を列挙してきたが、フォードの改革をもう少し巨視的な視点で見ると、その価値は斬新なビジネスモデルにあるといえる。

 フォードのビジネスモデルの特長は
1.資材(製鉄、ゴムなど)・部品(タイヤなど)から製品まで、自社(グループ)で完結する垂直統合モデルを構築したこと
2.大規模な広告宣伝を行い、独立採算制のフランチャイズ方式の販売店網を構築したこと
3.少品種大量生産でコストを引き下げ、高い労働分配で労働者の賃金を引き上げた。「自動車を作る人」を「自動車を買う人」に変え、自動車の大衆化を実現したこと
4.それまでの労働集約型の生産方式に科学的管理法を導入し、生産性を大幅に向上させ、ものづくりは科学で生産性を向上できることを証明したこと
などを挙げることができるだろう。

 一方では、
1.極度の分業と標準化は単調な作業を反復して行うことで、労働者のモチベーションが低下、それに伴う生産性の低下を招いたこと
2.黒のT型フォードの限定生産であったため、消費者需要の多様化に対応できなかったことで市場競争力を失ってしまったこと
3.2.の結果として、大量の売れ残り在庫が発生してしまうこと
などの欠点が露呈したことも事実である。

 上記のような問題はあったが、近代産業におけるフォードシステムの影響や貢献は大きく、時代は2度の世界大戦を挟んで、大量生産(マスプロ生産)の時代に移行していくことになる。また、この産業中心の大量生産重視は、冒頭にも触れた地球環境変動の要因になったことも忘れてはならない。

2023年9月 抱 厚志