ニューノーマルでは必須の時間的報酬と成果主義

 日本の主要都市では緊急事態宣言が暫定的に1カ月延長となった。最近の感染者数の推移を見ていると致し方ないと思うが、今回の延期では時短営業などに応じない店舗も出てくるだろう。彼らにしてももう現状は継続のデッドラインに抵触しており、本当の意味での死活問題なのだと思う。せめてワクチンの普及まではと考え、可能な限りの対策は講じたいものだ。

 そのワクチンは2月末から医療従事者を皮切りに接種が始まるという。ワクチンは集団免疫形成を目的にするので、社会における一定数以上の人が摂取しないと効果が出ない。今回のように十分な治験が行われたかどうか確かでないワクチンを接種することには、誰しも不安と迷いが生じるだろう。実際、アメリカなどでは予定した計画通りに接種が進んでいないという話も聞こえてくる。

 実際にワクチンの歴史の中でも何度かの重大なインシデントが起こっている。ワクチンの初期時代にはポリオウイルスの弱毒化ワクチンや不活化ワクチン接種で失敗を引き起こしてしまった例や、ジフテリアの無毒化に失敗した状態での接種が行われた例などがあった。また1970年以降には、米国の豚インフルエンザワクチンの副作用で一時的な手足の麻痺などを引き起こすギランバレー症候群が高率に発生したことや、スイスの不活化インフルエンザワクチンの使用で顔面神経麻痺の発生率が通常の数倍になったことなども報告されている。

 しかし、近年では製造や検査工程の体制強化で大きなインシデントは起こっていないが、今回のワクチンに関しては、パンデミックの影響の大きさもあるのだろうが、都市伝説的な陰謀論がネットを賑わし、不安を煽る要素になっている。

 自分の知り合いともワクチンが摂取可能になったら接種するかという話題になるが、3割ほどの人は当面の接種は見送りたいという意見を持っている。自分自身がどうかといえば、機会があれば接種すると決めている。

 集団免疫を形成するだけのワクチン接種を実現するためには、その製造、流通などの課題などから最低でも半年~1年はかかるであろうと予測されている。しかし、医療崩壊、リセッションなどの状況は待ったなしで進んでいるのであるから、有効な治療薬開発がまだ見えない現状では、やはり一刻も早いワクチン接種による感染拡大防止体制の確立が重要であり、異論はあるかも知れないが、健康上などの重大な理由が無い場合は、接種を義務化することも検討する方が良いように思う。読者各位にも接種に向けた準備が進んでいる現段階で、しっかり検討しておかれることをお勧めする。限りあるワクチンを無駄遣いすることは避けたいものだ。

 話が変わるが、今回のパンデミックで生活の様式が大きく変化したことに異論はないだろう。特に人と接することを主としていた仕事は、三密防止などの観点から、その方法、手段、場合によっては価値が大きく変わったといえる。

 特にテレワークは今後も社会に拡大していくだろう。以前も書いたが、これは今回のパンデミック以前から企業が取り組んできた「働き方改革」が起点であり、パンデミックはそれを強制的に加速したと考えるべきだろう。

 しかし、テレワークを推進するためのキーワードは「環境整備」と「評価制度」である。環境整備については、セキュリティの強化、社内システムのオンプレミスからクラウドへの移行などが挙げられるが、これは今後、企業の必須(生き残り)のための条件となり、その普及は加速度的に進んでいくだろう。またテレワークにおける評価制度は「成果主義」への移行が進むと予測される。なぜなら労働時間を減らし、それに反比例して成果を増やすことを目的とし、かつ自宅での作業を増やし、納得感のある人事考課を行うのであれば、プロセスの管理を強要せず、成果で評価することが一番公平であるからだ。しかし日本の労働環境で完全な成果主義を構築することは難しい。年功序列の昇進制度、その弊害の働かない高齢社員、評価基準の定性化依存、評価者育成の遅れなどの課題が解決しない限り、成果主義の構築は困難を極めるだろう。

 故に働き方改革の真の課題はここにあるともいえる。

 雇用関係の基本は労働と引き換えに報酬を与えることである。これまではこの労働を時間(拘束時間)で評価してきたが、働き方改革においては、労働を成果で評価しなければ、企業経営を維持しながら労働時間を削減することは不可能である。

 合わせて企業から提供する報酬の形も変化している。これまで個人的には3つの報酬の形があると考えていた。
 <1>経済的報酬(給与や賞与の提供など)
 <2>精神的報酬(やりがいや満足、成長の提供など)
 <3>社会的報酬(福利厚生や立場、地位の提供、保全など)
の3つである。
企業には第一に労働分配を高める努力をする義務があると思うが、人手不足の経営環境下では、経済的報酬と合わせて精神的報酬や社会的報酬との全体バランスも重要である。価値観が多様化し、ワークライフバランスや働き方改革が問われる現在、会社の価値観と個人の価値観を合一させ、双方に十分なメリットを創出させるためには、この3つをバランスよく提供することが求められる。

 今回のパンデミックでテレワークなどが拡がれば、通勤時間や残業時間が削減され、さらに新しい報酬の形ができるだろう。
その第4の報酬とは
 <4>時間的報酬
である。
8時間で予定されていたワークを、与えられた人が工夫や改善で作業効率を上げ6時間でこなした場合に、もちろん正規の8時間に対する報酬が確定し、かつ個人の努力で創出できた2時間については企業側が基本的にその用途については制限せず、個人の自由として時間的な報酬として支給するという考えである。その余剰時間を休息や家族サービス、趣味に利用しても良いし、オンラインセミナーやコミュニティーなどへの参加、資格取得の学習時間に充当しても良い。企業によっては副業を認めるところもあるかもしれない。仕事で求められる成果をアウトプットし、その効率を高めれば高めるほど、時間的報酬が増大する。一方、企業側もコミットされた成果をベースに報酬を支払うので資金繰りのバランスを安定させることができ、戦略や施策次第では、今より時間労働性を高めることも可能だろう。そして時間的報酬が与えられるようになれば、個人の能力の格差はさらに拡がると思われる。与えられた余裕時間を「目的を持って消費する人」と「目的を持たずに時間を浪費する人」の格差が能力の育成に大きく影響を与えるからだ。

 時間は万人に共通に与えられるが、その密度は人によって異なる。
誰もが1分が60秒、1時間は60分、1日は24時間、1年は365日ということは同じであるが、その期間における成長や成果は人により大きな差があるものだと思う。時間の密度を高めるためには、良い情報、価値のある情報や人を手段として選別することが重要である。

 例えばウェビナー(オンラインセミナー)である。このパンデミックでリアルのイベントは激減し、セミナーもオンラインでの開催が主体となったが、回線とソフトウェア、デバイスが1台あれば配信できるので、ネットではウェビナーが花盛りである。視聴者にとっては選択肢が増えて大いに結構なことのように思われるが、正直なところ、雨後の筍のように乱立するウェビナーは玉石混交というのが感想である。ひたすら製品説明を繰り返すセミナー、専門用語の連発の独自世界に没入するセミナー、総論・概論の繰り返しでテーマへの切込みが無いセミナーなど、視聴後に思わず疲労の溜息が出てしまう時もある。これは時間の浪費だ。逆にいつかはリアルで直に聞いてみたいと思わせられるウェビナーもあり、集中が途切れがちなウェビナーでも、時間が経つのが速いと感じさせてくれるものもある。この違いは大きい。

 情報過多の時代だからこそ、情報収集の手段を確立し、確かな情報ソースを持つことは、時間的報酬を精神的報酬に変える術となる。

 働き方改革を本当に推進するのであれば、報酬と成果が比例し、合理的に生じた時間を報酬として与え、それを活かすという全社的な強い意識改革が必要だろう。

 2025年の崖はDXで越えるのだが、DXを推進するために、まずはこうした意識改革を並行して進めていかねばならない。これは単純で誰もが漠然と理解していることだが、実践が難しいことだ。言い換えれば、これを確かに実践できる企業が、確実に2025年の崖を越える企業と言って差し支えないだろう。

 新型コロナを対策で考える時期は終わり、施策で捉える時期が到来している。

2021年2月10日 抱 厚志

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