決断とは捨て切ることにある。

 先日、もう親交が5年になる大学の後輩が訪ねて来てくれた。
彼とは35歳以上も年が離れているが親友である。彼が学生の時、代表をしていた団体の支援をしていたのが縁で知り合った。生来、性格は穏健で生真面目、時には考えすぎて、自ら五里霧中に入り込んでしまう時もあるが、そんな時、彼は必ず私を訪ねて来てくれる。

 そんな彼の前にいると、その真っ直ぐな生き方が私の心を熱くする。
真摯に向き合い、微力ながら、自分が思う最高のアドバイスを贈りたいと思うから、自然と自分の言葉が熱くなっていく。

 その彼が今回、大きな決断をした。
決断に至るまで何度も相談に乗ったが、最後は彼が自分で決めた。勇気のある決断だった思う。

 決めて断つと書いて「決断」という。
どのような人にも必ず、数度の人生の分水嶺があり、決断をしなければならない場面がある。
その決断が重く、その後の人生を大きく左右するものである場合、人は大いに迷い、苦悩しながらも何らかの決断を行わなければならない。そこには時間的あるいは社会的な制約、それまでの因果関係など様々な制約を受け、単なる好き、嫌いという本能に従った決め事だけでは済まないことが多いものだ
そしてその後の人生において、その決断に悔悟と安堵を覚えながら生きていく。

 「決」という字は会意兼形声文字であり、へんのさんずいは「水」を表し、つくりの夬は「えぐり取る」を表しており、堤防が水にえぐり取られる意味を指す。転じて物事を取り決めるという意味に利用されるようになった。他の意味としては1.「きれる」「きる」2.「きめる」3.「きりはなす」4.「ひらく」5.「かならず」などを表し、自決などのように、覚悟を決めるという意で使われることもある。日本では勢いの凄まじさを表現する言葉で「破竹之勢」がよく使われるが、類語として「決河之勢」という言葉があり、水が黄河の堤防を切って、溢れ出る勢いを指す言葉も存在する。

 一方、「断」という文字も会意文字であり、旧字は「斷」であり、へんは繋がる糸を刃物で切り離す意味を持つ。そしてつくりの「斤」は曲がった先に刃を付けた手斧を象る象形文字であり、1.「絶つ」2.「とだえる」3.「きれはし」4.「さだめる」などの意味を持つ。

 そうすると、決断とは「取り決めて、絶つ」ということで、AとBという2つの選択肢がある場合、「Aと決めて、Bを絶つ」という意味に解釈できるだろう。人は決断をする時に決めることばかりに気を取られてしまう。前述のようにAとBという選択肢があれば、今後の成功要因はAを選ぶか、Bを選ぶかという選択こそが全てのように感じているものだ。

 しかし決めるということは、決断の20%でしかないように思う。
残りの80%はBを絶つ(断つ)、すなわちBを捨てきることといえないだろうか。これまで数多くの決断を行ってきたし、家族、友人、仲間、はたまた歴史上の偉人たちの伝記などで決断の場面を見てきたが、私自身が感じていることは、決断とは捨てる勇気であるという事だ。

 人は弱いから、Aと決めても、Bを捨てきれない。
故にAと決めても、その後の行動にどうしてもBの影がちらついてしまうものだ。私自身は大した人間ではないので、言い切ることに憚りがあるが、決断を成功に持ち込む人は、Aと決めたら必ずBを捨てきる人ではないだろうか。Bを捨てきることができないということは、迷いを払拭した決断とは言えない。迷いがあるうちは、時間、エネルギー、能力、関係などの自分のリソースをAに集中することができないものだ。
結局、決断後の失敗とはAに集中できないこと、すなわちBを絶つことができないところに大きな原因があるように思う。

 例えばニューノーマル(新常態)もそうだ。
今回の新型コロナウイルスのパンデミックで、社会の価値観は大きく変わった。生き方も働き方も、人間関係や社会における企業や自分の価値も変わった。
そして、これは受け入れるしかないと思っている。

 アフターコロナが来ることは、もうビフォーコロナには戻れない、戻らないと決めることであり、旧常態への回帰への淡い希望を捨てるという事だと思う。
世界的な激変であるが故に、より一層、明確で強固な決断を行わなければならないだろう。決断した自分はもうビフォーコロナに戻ることは考えないし、アフターコロナの新常態の中で生き、経営を続けていくことを決めなければならないのだ。だからビフォーコロナへの回帰の選択肢は絶った。間違えて頂きたくないのは、私がビフォーコロナへの回帰を否定しているわけではないということである。もし回帰を望むのであれば、そこに己の全てを集中すればよい。

 しかし、自分が生きていく価値観はアフターコロナに据えた。
自分の残りの人生の時間を考えれば、新しい価値観で生きるよりは、過去の価値観を踏襲した方が安定して結果を出せる気もするが、その考えは捨てた。これまでもずっとチャレンジしてきたのだから、これからもそのようにありたいと思うのが自分の本質だからだ。

 決断することはいつだって苦しいし、怖いものだ。
Aと決めて、Bを断ち切ることには本当の勇気が必要だといえる。しかしこの勇気こそが自分の人生を納得や満足に繋げていく大事な要素だと思っている。どれほど能力があっても、それを発揮すべき場面で尻込みをしてしまう勇気のない人は、最初から能力を持っていなかったことに等しいのではないか。

 決断する勇気。
誰にでも求められるが、誰にでも発揮できるものではない。
しかし自分が一番納得できる生き方をするために、絶対に必要なものだ。

 冒頭の親友の後輩へ。
僕は君の決断を認め、その勇気を讃えたい。だからこれからも君を応援していくつもりだ。君は常に自分自身に向き合う人だから、勇気のある決断は、君を大きく成長させるものと確信している。今後も人生というキャンバスに存分に絵を描いてもらいたいと思っている。
人生には必ず勝ち負けが存在するが、ゆとり教育の影響もあって、勝ち負けに拘ることはみっともないという風潮もあるが、それは勝負の本質を取り違えている。本当の勝負とは自分自身とするものだ。自分に嘘はつけないから、結果には必ず勝敗は存在する。それを先送りにして、永遠の引き分けを探そうとすることが最大の敗北であると断言する
だから君にはしっかり昨日の自分と勝負し続ける己であれという言葉を贈りたい。そしてその言葉はそのまま自分にも言い聞かせるようにするつもりだ。
君の人生が決断の勇気に満ちた、価値あるものになることを心から願っている。しっかり決断して、存分に勝負せよ、されば必ず道は拓かれるもの。

 さて、私自身も勇気ある決断をし続けるためにどうあるべきか。
これはまだ答えが見つかっていない。

2020年8月 抱 厚志

追伸新型コロナウイルスの流行が始まってから13キロ痩せました。
これまでの暴飲暴食をやめたからだと思います。
これは勇気ある決断だったからでしょうか?

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