2020年も早いものでもう師走である。
毎年この時期になると、会社の決算月とも重なるので何となく気ぜわしく感じるものだが、新型コロナのパンデミックで年末の雰囲気も大きく変わった。いつもは忙しいなりに、毎日にメリハリがあって活動をしている実感があったものだが、今年は不要不急の外出自粛要請などもあって、人が集まる機会も激減し、仕事のラストスパートもいささか遠慮がちになってしまう。
自粛という言葉が社会のコモンセンスとなり、漠然と社会全体に不安が覆いかぶさっているような感覚だが、今月から欧米では、ファイザーやビオンテックなどのワクチンの投与が始まったようなので、流れは好転し、不安も少しは解消されるのかもしれない。
日本はワクチンの供給を2億9000万回分程度確保しているとのことだが、投与開始の時期が遅いので、ワクチンが日本全体に行き渡るのと社会的な免疫形成に時間がかかり、先進国の中では、アフターコロナへの移行が一番遅い群にいるという記事を読んだ。ちなみにアメリカは2021年4月、カナダは6月に平常社会への復帰と言われているが、日本は2022年4月だそうなので、まだまだウィズコロナの状態は続く前提で、生活や仕事、経営を行わなければならないだろう。
ワクチンに関しては、十分な治験を経ているとは言い難い状況にも関わらず、FDA(アメリカ食品医薬品局)などに緊急使用許可などが求められているそうだ。もちろんワクチンの早期の投与開始が望ましいが、不十分な治験による副作用の蔓延などの二次災害も怖い。実際、先日、テレビで「今のワクチンを接種するか?」という質問に、日本人の31%が「しない」と回答していたことはワクチンへの不安を表しているように感じた。
今年一年を総括してみれば、新型コロナとの戦い、その不安に翻弄された年だったというのが万人の本音だといえるだろう。
ウイルスを生命体に分類することを否定する生物学者がいるくらいに微小で単純な存在である。冥王星にまで探査機(ニューホライズンズ)を飛ばすことが可能になった人類だが、わずか直径100~200nm(1ナノメートルは10億分の1メートル)程度のコロナウイルスとの闘いを克服できずにいる。いずれ人間の平均寿命も100歳を超える可能性があるといわれているにもかかわらず、目の前の新型コロナから多くの命を守り切れずにいる。
技術が全てに優先し、全てを解決するという近年の人類の錯誤が露呈したのだろうか。ここで近代社会の大きな変革の歴史を振り返ってみたい。
これまでの大きな変革(第1次~第3次の産業革命など)は、まず技術革新が先行し、その技術が社会構造の改革を推し進めてきた。第1次産業革命では「水力」「蒸気機関」、第2次産業革命では「電力」が、そして第3次産業革命では「コンピュータ」「インターネット」というエネルギー・情報・通信の目覚ましい技術革新が社会構造の変化を創出してきたといえるだろう。
そして2012年にAIやIoTなどを起点にした第4次産業革命の登場が注目されたが、それが社会に構造変化を定着させる前に、今回のパンデミックが始まった。
今回の新型コロナ感染拡大は、その感染に対応せざるを得ない社会構造の変化(テレワークなど)への要求が先行し、それに対応するための技術革新が後追いしているのが現状であり、この順序性の逆転は近代社会が未経験の変化である。技術革新が社会構造(新型コロナに伴う経済や社会の変化)を変えるのではなく、社会構造の変化が技術革新の加速を求めているということであり、これまでの近年の社会の変化とは真逆の状態である。
人類は、これまでにない手順で新型コロナと戦わなければならない。
しかもこれは人類が存在し成長し続けるために、緊急で確実な対応が求められる戦いだ。戦いに勝利するために、ひたすら戦闘を繰り返すのではなく、戦いの本質を明確にして、何と戦うのかを明確にしておかねばならないだろう。
成長とは、課題の克服の連続=戦いの連続である。
常に課題と向き合い、勝負し続けることだともいえるだろう。課題と向き合い続けることは苦しいし、勝負を続ける緊張感は人の心身を疲弊させる。
人類はその歴史の中で、勝負を繰り返してきた。
その歴史は必ずしも勝利ばかりであったとはいえないだろうが、決定的な敗北を味わったこともない。戦いの本質とは、何を勝利とし、何をもって敗北とするかを定義しておかねばならないだろう。
勝負には「相対的な勝負」と「絶対的な勝負」の二種類があると思う。
相対的な勝負とは、社会や集団、組織の中で、自分以外との順位優劣を付けることであり、簡単に言えば「順位争い」で、一般的な勝ち負けとは、この相対的な勝負と考えてよい。人間は社会的な動物であるので、集団を維持するための秩序や順序を重んじるが故に、序列を賭けた勝負にこだわりが出るものだ。勝つこととは、競う相手より上位に立ち、優位な条件を獲得することであるので、その勝敗は比較的単純で客観的に見えやすい。人類は新薬の開発を通じて、新型コロナとは互いの先を行く、相対的な戦いをしていかなければならないという戦いの渦中にいるといえる。
一方、絶対的な勝負とは、自分が立てた目標達成の成否であり、相対的な勝負とは異なり、戦う相手は自分の中の自己である。絶対的な勝負とは、自分との勝負であり、自分が立てた目的(目標、ゴールなど)を達成することの結果を問われる、自分の内面での戦いである。人類が誰一人見捨てること無く、世界を維持・成長させるという決意を持ち続けることは、人類自身の絶対的な戦いだといえるだろう。
若い間は相対的な勝負が主たるモチベーションとなり、自分を成長させる要素になるが、年を経ることに絶対的な勝負が己の重厚さを形成することを知ることが重要なのだと思う。私はこれまで60年間生きてきたが、人生の切所においては常に「本当の勝負は、限界と感じた瞬間から始まる」ということを言い聞かせてきた。絶対的な勝負をする中で、この言葉は本当に重要な指針となっている。
またアインシュタインは「神はサイコロをふらない」と言った。解釈は本来の意味とは少し異なるが、岐路における勝負は、偶然(他責)ではなく、必然(自責)で決まるべきものだと考えたい。自分との絶対的な勝負は「勝つこと」ではなく、「どのように勝つか」が重要であり、流れに任せた偶然の勝ちではなく、努力と忍耐と勇気に基づいた必然的な勝ちでなくてはならないのではないだろうか。勝ちにも負けにもそれに至る必然の理由があり、それを探し続けることが自分を成長させる。
自分との勝負とは、自分の夢との勝負である。夢に手が届けば勝ちといえるし、夢を諦めれば負けだ。ディズニー社の創業者ウォルト・ディズニーは「夢を追う勇気さえあれば、すべての夢は叶えられる」と言っているが、シンプルだが本質を表す金言だと思う。物事を簡潔にすることは難しいが、単純にすることは容易いものだ。
人類はこの未曾有の危機において、それを克服することを念じ、未来を幸せな方向に変える戦いをしなければならない。
心を折られることなく、コロナ禍を克服する未来を創る。
未来を変える勇気が持てないと負ける。ただそれだけだ。
もうすぐ2021年が始まる。
人類はまだ負けてはいない。
2020年12月 抱 厚志