亀の甲より年の劫

 あと1時間ほどで57歳になる、56歳の最後の時間に、この原稿を書いている。
 振り返れば、56歳も疾風怒濤のような日々を過ごしてきた。
いろいろな事があって毎日がスリリングだが、一方、波風を立てず、平穏に暮らす人生に憧れを持つ自分もあり、 でもそれはなかなか叶わないことだ。
 最終的には、己に与えられた天命を肝に銘じ、己に正直に生きていくのみだと思う。
 幸せな人生の定義はいくつもあるだろうが、天から命じられたものを知りながら生きていく人は、天に生かされているという感謝の気持ちがあり、幸せな生き方の一つではないだろうか。

 自分の人生も終盤に差し掛かってくると、自分が持つ時間について考えることが多くなり、与えられた時間が少なくなってきていることを強く認識するがゆえに、自分がやるべき事について考えるようになる。

 しかし、年を取ると人間関係で自分の立ち位置の重みが増したり、経験の豊かさにより物事を上手くさばく能力が増したりしてくるので、自分がアウトプットするものが増えているように思う。
 これを「亀の甲より年の劫」と言うのかと思い、調べてみた。

 「亀は万年生きると言われており、それに比べれば人生の八十年程度は短く感じるとしても、年長者の経験から身につけた知恵や技術は貴ぶべきだという意味」(故事ことわざ辞典より引用)とすれば、時間の積み上げの多寡ではなく、時間から得た経験、言い換えれば良い経験を得ることができる時間の過ごし方が重要なのだと言えるだろう。

 総じて、成功する人は時間を支配する能力が高いと思う。
人間は大きく2つのタイプに分かれる。
1.時間を支配しながら生きていく人
2.時間に支配されながら生きていく人
の2タイプだ。
 これは異質に等価値なことであって、どちらが良い悪いと言う優劣ではない。
 能動的であることは積極的とも言い換えることができるし、受動的であることは慎重であるとも言えるのだ。同じ人の中でも、能動的と受動的が場面によって入れ替わる場合も多いだろう。

 しかし、志や人生の目標、目的を持ち、その達成を強く願う人、そして相応の結果を導き出す人は「時間を支配する力」に長けていて、時間の密度が濃い人が多いように感じる。

 以前も書いたが、人生における成功と失敗の分かれ目は、「天賦の才」の様に、個人に対して特別に与えられたもので決まるものではなく、万人に共通に与えられたものを如何に活用するかという事で決まるものなのだと思う。

 万人に共通に与えられるものの第一は、「時間」ではないか?
寿命という不均等があるではないかと言う反論もありそうだが、それは人生の本当の最後の場面で思うものであり、日々の生活では、誰もが1分は60秒、1時間は60分、1日は24時間、1年は365日であり、これは誰にも平等に与えられたものだ。

 時間とは連なる経験の積み重ねであり、その逆もまた然りである。
1時間や1日で目に見えるような差は付かないが、1年では大きな差が付き、10年では埋めることのできないほどの大きな隔たりができてしまうものだ。
 1秒を真剣に生きることのできない者は、1時間を価値に変えることができない。
 1時間を無駄にするものは、1日分の成長を破棄していることと同じであるように思う。

 時間の多くを惰性で過ごすことは、時間に支配されているという事であり、目標を持ち、計画を立て、今のこの瞬間に為すべきことの意味を持って生きる、言い換えれば常に計画や目的を持って生きることが、時間を支配して生きるという事ではないだろうか。

 時間を支配して生きるとは、己の時間の密度を濃くして生きるという事であり、密度が濃くなることによって、時間の連鎖性の強化、単位時間当たりのアウトプットが増加するのだと思う。

 時間におけるアウトプットとは「成長という変化」であり、時間の密度を高めれば、変化の速度は高まる。
 そして時間の密度を高めるものとは「計画」であり、その計画を立て、遂行し続けるためには「志」が必要なのである。
 ということは、時間は「志+計画」で支配することができるという事だ。
 成功への王道は、万人に共通に与えられた時間の密度を、志と計画によって高めていく試みを繰り返すことにあるのだろう。

 我々の周囲にも、加速度的に成長する人や組織がある。
そこには必ず志の変化があり、計画の重要性を感じる変化があったのだと思う。

 成長は年齢には関係ない。
日本では『男子三日会わざれば刮目して見よ』という慣用句があるが、三国志演義の『士別れて三日なれば刮目して相待すべし』というのが原文である。
 呉の武将であった呂蒙は、無学、無鉄砲な蛮勇で名が轟いていたが、君主の孫権に学問を勧められ、当時最強と言われた蜀の関羽を知略によって撃破した故事から出た言葉である。
 また機会があったら、合わせて「呉下の阿蒙」なども調べて頂きたい。

 呂蒙は学ぶことによって、自分の価値を高めた。
もうひとかどの武将であったので、学問を始めたころには結構な年齢であったと思われる。
 しかし学ぶことで成長し、結果を導き出した。学ぶためには主君を思い、国を思う志があったのだろう。
 成長は、それを強く意識した瞬間から始まるものであり、決して年齢ではないのである。

 こうして原稿を書いているうちに、57歳になった。
まだまだ成長をやめるつもりはない。
 残り時間が少なくなったから諦めるのではなく、残り時間が少ないからこそ、志や計画をしっかりと持ち、時間の密度を高めていく。

 これまでの経験が、無駄に見えても無益でないもの、またその逆があることを教えてくれた。
 56年積み上げたものは、これからの自分の時間を支配することに大いに役立つと信じている。
 時間に支配されず、時間を支配できる、そんな人生を送るために、いま一度、自分の志と計画を見つめ直す。

2017年 7月 抱 厚志

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