強いDXと弱いDX

 本ブログにおいて、ここ最近はライフワークとしている生産管理史(改善の系譜)の執筆に力を入れているので、エッセイを書く回数が減ってきた。浅学非才の私のエッセイであっても楽しみにして頂いている方がいることは、書く側にとって大きなモチベーションとなり、エッセイをやめる訳にはいかない。私は元来、文系の代表格ともいえる文学部の出身であり、一時は書くことを自分の生業としたいと考えたこともあったりして、文を書くこと自体が好きで、苦にはならない。もちろん自分が納得できない文になった時はそれなりにストレスも溜まるが、生来の楽天的な性格もあって、そのストレスを持ち続けることはない。読んで頂きたい気持ちも強いが、書く楽しみの方が強いからだろうと考えている。

 さて、今回は生産管理史から離れて、久しぶりに自由なエッセイを書きたいと思う。

 新型コロナウイルス感染症も、3月になってマスクの着脱は個人の判断に任せることとなり、5月にはコロナが5類に分類され、本格的なコロナとの共存が始まる。これをアフターコロナと考える向きもあるが、私個人は本格的なポストコロナ(ウィズコロナ)の始まりだと考えている。コロナで社会は大きく変わり、コロナによって、停滞、消滅させられたものもあるが、逆に大きく加速されたものもある。加速された代表的なものは、デジタル化の推進であることは間違いがない。生活もビジネスもデジタル化が進み、そのプロセスや形式にも顕著な変化が現れている。

 この変化を推し進めた原動力となったのがDX、すなわちデジタルトランスフォーメーションであるが、デジタルネイティブの欧米ならまだしも、アナログネイティブの日本では声高にDXが叫ばれるばかりで、その実態すら明確に定義されていない現状と感じてしまうのは筆者だけであろうか。

 一般的にDXとは多岐多様にわたっている。
『デジタル技術で現在のサービスやビジネスを変革し、新たな価値や競争力のあるビジネスモデルを確立することを目的とする全社的な業務改革への取り組み』とか、『企業がAI、IoT、ビッグデータなどのデジタル技術を用いて、業務フローの改善や新たなビジネスモデルの創出だけでなく、レガシーシステムからの脱却や企業風土の変革を実現させること』などともいわれ、経済産業省では『企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズをもとに、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること』と定義されている。簡単にいえば、デジタル技術をもって、業務のプロセスだけではなく、ビジネスモデルや組織、企業風土までも変えてしまおうとする企業の「Rebirth」である。ここはしっかり把握しておかねばならない。

 デジタル化が進む欧米に比べて、日本企業、特に日本の中小企業のDXへの取り組みの立ち遅れが指摘されることが多い。これは実際、大小の製造業のフィールドに立つ筆者自身も強く感じていることである。デジタル化やDXには取り組まなければならないが、その本質を理解していないので、どこから手を付けて良いのかが分からない企業が多い。

 DXには「強いDX」と「弱いDX」があるのではないだろうか。
 これは筆者が名付けたのだが、簡単にいうと、強いDXとはビジネスモデルも変革する本来のDXであり、弱いDXとは部分的なプロセスをデジタル化する、言い換えれば単なるIT化のことを指していると考えてほしい。その概要をまとめてみると、下図のようになる。


出典「DXとは?IT化との違いや事例を解説」(2023.02.17 DOORS編集部)に加筆

 先述のように、弱いDXとは従来のIT化と同義であり、既存の業務プロセスは変えず、デジタル化(IT導入)によって、その合理化、省力化、効率化、アウトプットの向上などを目指す取り組みであり、変革の手段で求めるものは、工数、コスト、時間などの量的な変化である。業務における部分的なデジタル化(システム化)で、ビジネスモデル全体の刷新を行うものではない。調印を電子署名に変えたり、稟議をデジタルワークフローに変えたりする、部門的な取り組みなどが弱いDXに該当する。

 一方、強いDXとは一種のイノベーションであり、デジタル技術や最新のテクノロジーを駆使して、ビジネスモデル(収益モデル)やサービス自体を変革することである。強いDXに求められることは、この変革がDXの目的であることと質的変化を目指すことにあるといえるだろう。ビジネスモデルやサービス自体の変革を目指す全社的な取り組みであり、場合によっては、業容自体を変えてしまう大変革も有り得ると考えるべきである。業容の変化とは大袈裟に聞こえるかもしれないが、同じものを売ったり作ったりするにしても、デジタルや最新のテクノロジーの発達により、バリューチェーンやサプライチェーンのあり方は、10年前とは大きな変化を起こしているのが現状である。10年前の売り方や作り方が通じない場面が増えているのだ。こうした変化に合わせたビジネスモデルの変革を推進することが強いDXであり、提供するものが最高のCX(Customer Experience:顧客体験)で、デジタルトランスフォーメーションの本質はここにあるべきである。

 ここで事例を一つ紹介したい。ドイツに本社を構えるケーザー・コンプレッサーという企業がある。1919年にドイツのコーブルグで創業し、100年以上の歴史を持つ世界でもトップクラスの空気圧縮機メーカーである。従来のケーザー社は、顧客の需要に対してコンプレッサーを製造・販売する製造業であったが、新しいサービスとして「シグマ・エア・ユーティリティー」と呼ばれるサービスをリリースした。一言でいうと「圧縮空気の量り売り」への転換である。通常、コンプレッサー購入後はユーザー自身がメンテナンスを行うが、新サービスでは、コンプレッサー導入の企画~設置、運用、保守、修理の一連の作業すべてをケーザー社が担当する。これにより、ユーザーは設備導入や運用に関するコストを気にする必要が無くなり、利用した圧縮空気の量だけを考えればよいので、家庭においてガスや電気を利用するのと同じように、様々な面倒から解放されることになる。ケーザー社のシグマ・エア・ユーティリティーは、IoTとネットワークという技術を持って実現された強いDXである。前述のように単なるデジタル化ではなく、ビジネスモデル自体を変革させ、同社の躍進に大きな貢献をしたといえるだろう。

 またケーザー社では、顧客への提案の前に、一定期間コンプレッサーの稼働状況をモニタリングすることにより、データを収集し、分析を行っている。一般的に圧縮空気のコスト分析をすると、コスト内訳の85%が電気代であるといわれているが、このモニタリングによって、電気コストと圧縮空気の利用料の関係を把握し、ケーザー社は省エネルギー+高効率の運用の提案ができ、顧客のコストパフォーマンスを向上させている。このようなデータサイエンスを利用した業務改善も強いDXであるといえるだろう。最終的に電気使用量を低減し、二酸化炭素の排出量を削減することができれば、社会課題解決へのアプローチにもなり、強いDXにはこうした社会的な一面もあるのが特長である。

 ケーザー社は世界中に展開する自社コンプレッサーをネットワークに接続し、その稼働状況をリアルタイムで把握するシステムの開発に取り組んでいる。このデータを分析、活用すれば、ケーザー社のセールス拡充に活用できるだけでなく、全世界的に持続可能なゴールへのアプローチに貢献できるだろう。

 2022年、日本は世界デジタル競合力ランキングにおいて、29位に順位を下げた。これは日本が本来の強いDXへの取り組みが遅れ、弱いDXへの取り組みに終始していることも一因であろう。強いDXには「経営者の理解」「全社一丸の取り組み」「カスタマーセントリックなビジネスモデル」「社内デジタル人材の育成」などの課題があるが、日本はすべての面において立ち遅れている。しかし言い換えれば、日本が本格的に強いDXへの取り組みを開始すれば、まだまだ国力を伸長させる余地があるとも考えられる。更に、強いDXを実装できる企業には大きな勝機が巡ってくるともいえるだろう。

 私事だが、2023年4月20日(木)に『カスタマーセントリック(顧客中心主義)な「強いDX」の構築 ~人・モノ・金から考える製造DX~』というタイトルでウェビナーを開催させて頂く予定である。セミナーでもしっかり、強いDX、弱いDXについては触れたいと考えているので、興味のある方は、ぜひご聴講頂きたい。
[4/20 抱講演セミナー詳細ご案内]

2023年3月 抱 厚志