博覧強記に生きる

 齢を重ねると、時間の体感速度が速くなってくる。
つい先日に2017年の最終稿を書いたと思っていたが、時間はあっという間に駆け抜けていき、気が付けば2018年の最終稿を手掛けている。
光陰矢の如しというが、まさに時間は光速で過ぎていく。

 先日、公益財団法人 日本漢字能力検定協会から、2018年の「今年の漢字」が「災」に決まったことが発表され、京都の清水寺で森清範貫主が揮毫した。

 「災」という漢字が選ばれたことに対して否定的な意見も出ていたが、個人的には納得がいく選出だと感じている。
特に私が住んでいる大阪では、地震、台風、豪雨などで大きな被害が出て、どれほど科学やテクノロジーが進歩しても、天災の前では人間がちっぽけで、どれほど無力であるかを思い知らされた1年であったといえる。

 成長を過信することは人類の傲慢であり、天が絶対的な存在であることを再認識させられた「災」であった。

 経済は比較的安定の様相であったが、年末には日産自動車再建の立役者としてもてはやされたカルロス・ゴーン氏が逮捕され、世界の自動車産業に激震が走った。
調達先である下請業者には過酷なコストダウンを要求しながら、一方では莫大な報酬を得ているアンバランスには裏があり、いつか馬脚を現すのではないかと思っていたことが現実となった。

 日産は慎ましさを失い、驕慢となった人による災い、「人災」にみまわれたと言っていいだろう。

 企業を守るためにコストダウンを要求することは、経営者として当然のことであり、それが成果を生んだとすれば、経営者が高額な報酬を得ることは間違っているとは思わない。
しかし裏側での公私混同、虚偽記載などは決して許されるべきではないだろう。

 三国志に登場する蜀の丞相、諸葛孔明が病没した時、彼の財産は「桑800株、痩田15傾」が全てであり、それは一般的な農民が持つ財産と変わらなかったし、諸葛孔明はそれで充分に満足をしていたそうだ。

 どれほど権力を持とうとも、身を慎ましやかにして生きることの美しさを追求して欲しいと感じるのは、日本人独特の感覚であろうか?

 話は変わるが、先日、ある企画の取材を受けた。
取材の中に登場する質問の定番は、自分の来歴、大切にしている信条、自分が経験した一番の苦難やピンチの打開、将来の展望などが多いが、時々、尊敬する歴史上の人物を聞かれることがある。

 自分が尊敬する人とは、自分にとってのベストプラクティスであり、自分の目標であり、生きるための指針である。歴史に造詣を持ち、真に尊敬できる人物を見つけ出すことができれば、人生に確かな骨格が形成されるものだ。

 私自身が尊敬し、敬慕する歴史上の人物は多いが、まずは「鄭の子産」を挙げたい。

 子産(? – 紀元前522年)は、中国春秋時代の鄭に仕えた政治家で、姓は姫、氏は国、諱は僑、字は子産。「公孫僑」とも呼ばれる。祖父は鄭の穆公、父は子国(公子発)、子は国参(子思)。弱小国の鄭を安定させる善政を行い、中国史上初の成文法を定めたとされる。

 鄭(紀元前806年 – 紀元前375年)は、中国の西周時代から春秋戦国時代まで存在した国。現在の中華人民共和国河南省に位置した小国で、周の宣王の同母弟、姫友(桓公)が鄭(現在の陝西省渭南市華州区)に封じられたことに始まると言われている。

 少し補足しておくが、この鄭という国は周の王族が分かれた国であり、歴史は古い名門であるが、春秋時代の二大勢力である晋と楚の狭間で、ある時は、晋に属しながらも楚に表向きには従うという、「面従腹背」を繰り返した国である。小国であるが故に晋と楚との二大勢力による争いに巻き込まれ、徐々に衰退・没落した。

 その大国の狭間で苦悩する鄭を支え、国滅の危機を乗り越え、繁栄させたのが子産であり、名臣を数多く輩出した春秋時代においても、斉の晏嬰(あんえい)、管仲(かんちゅう)と並んで高く評価されている、当代きっての政治家である。

 私が子産に惹かれるのは、子産が時代を代表する「博覧強記」の人であったことにある。

 「博覧強記」とは広く物事を見知って、よく覚えていることを意味する。
「博覧」は広く書物を読んで、多くの物事を知っていることであり、「強記」は記憶力のすぐれていることで、「強」は「彊」と書く場合もある。

 子産は春秋時代では最高の知識人だった。
当時の書物とは知識の源泉であったが、現在と比べることができないほど貴重なものであった。

 後に漢の国を建てることになる劉邦を内から支えた名臣、蕭何(しょうか)は、劉邦が秦の都咸陽を占領した時に、他の者が宝物殿などに殺到する中、宝物には目もくれず、ただ一人、文書殿に入り、「宝の山だ」と言って、書物や地図を残らず運び出したということからも書物の貴重さが分かるだろう。

 子産は書を愛し、誰よりも古式古礼に通じることにより、人の尊敬を受け、小国である鄭を支えた。

 現在のように印刷技術やインターネットがあるわけでもなく、情報を得ることが難しかった時代であり、すべてを頭の記憶の中に収めることができる人のみが博覧強記と言われた。
子産は生きるハードディスクだったのだろうか?

 また子産は単なる物識りではなかった。
古礼古式を知るがゆえに、その価値の陳腐化、現状との相違に敏感であり、それらを護るだけでなく、それらを変えていく勇気を持った人であったといえる。
史上初めての「参辟」という成文法を定めて、鼎(青銅器)に鋳込んだことこそ、勇気を表していると思う。

 子産の成文法は、列強各国からの強い批判と反発を受けた。
1.儒教もしくは老荘的な考え方からすれば、法律を多くして民を縛るのは亡国の証だと言われていた
2.下の者が法律を知るのは身分秩序を乱す元となるという危惧
が大きな理由だと考えられる。

 礼は士大夫、刑罰は庶民に対するものであると考えていた当時に、等しく法に縛られることは、まさにコペルニクス的展開であったに相違ない。
しかし子産は断行した。
その決意の根底には、子産の博覧強記があったのではなかろうか。

 経営者は常に大小の決断を迫られるものだ。
天才には、天賦の才があり、いとも簡単に正しい決断をすることができるのだろうが、私のような凡百の人間には、考え抜くことが必要だ。
考えるためには、情報と方法が必要であり、その情報量が多いほど、決断に迷いは無くなり、その後の行動に強い信念が生じ、良い結果を導き入れるものだと思う。

 だから人は学び、情報を得なければならない。
ゆえに人はたくさんの書物を読み、己を武装していかねばならないのだ。

 書を読むとは歴史に学ぶという事である。
プロイセンを列強に育て上げたビスマルクも「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言っている。

 私は、博覧強記もしくは博識洽聞(はくしきこうぶん)といわれるような人生を送りたい。
世の出来事の全てを知ろうとは思わないが、広範な知識を持って、自分や会社の進むべき方向を誤ることなく、推し進めていきたい。

 成文法で多くの非難を受けた子産であったが、その死を知った孔子は、涙ながらに「今の世に無い仁愛を持った人であった」と哀悼したという。
博覧強記であった子産は、仁愛の人でもあったのである。

 私の筆力では尊敬する子産を伝えることはできていないので、宮城谷昌光氏の「子産」を一読されることをお薦めする。
この本は私の人生に大きな価値観を提供してくれ、自分が怠惰な人間になりそうな時、迷った時に何度も読み直す本の一冊であり、読み返すたびに、博覧強記な子産に敬慕の情を禁じ得ない自分がある。

 振り返ると矢の如く過ぎ去った2018年であったが、元号も一新される来年には平穏な船出を期待したい。

 皆様、よいお年をお迎え下さい。

2018年12月 抱 厚志

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