先月の初め、2回目のファイザー製ワクチンの接種を終えた。ご多分に漏れず、副反応はやってきて、用心はしていたもののやはり発熱し、体のだるさで翌日は仕事にならなかった。しかし予想通り1日で熱は下がり、翌々日からは通常運転に移行でき、大きな問題にはならなかった。
ワクチンに関しては情報が錯綜し、接種を躊躇う人も多いようだが、まずは正しいと思える、自分が納得できる情報を入手するように努めた上で、判断をすべきである。特に都市伝説的な噂に近い情報に惑わされるのは危険であろう。最終的には個人の判断であるが、ワクチンを接種しても血栓や副反応などのリスクはあるし、ワクチンを接種せず、新型コロナウイルスに罹患すれば、味覚や嗅覚の障害など後遺症のリスクが残る。いずれにしてもノーリスクではないので、どちらのリスクを取るかは個人が決めればよいことだろう。
自分自身は経営者であり、人と会う活動量が減れば最終的に業務や業績に支障が出るので、迷わずワクチン接種の選択を行った。ブレークスルー感染など、ワクチンを接種しても新型コロナ罹患の可能性が完全に排除される訳ではないが、少なくとも重症化を防止するには大きな効果があるとデータが示しているようだ。新型コロナ自体の致死率が他の感染症に比して異常に高い訳ではなく、一番恐れるべきは、その爆発的な感染力に伴う感染者の急増による医療崩壊であろう。本来なら救われるはずであった命が、医療崩壊を原因で失われてゆくことは忍びない。そのためにもできる限りの蔓延防止措置を取ることが重要であり、苦渋を伴うが、国民はその行動を厳しく抑制しなければならないと感じている。
感染症は人を選ばない。
自分は大丈夫などという迷信に近いような過信が、クラスターを引き起こすのだろう。自分の行動が社会の責務に繋がっていることを言い聞かせ、分別ある行動が求められる。
9月に入り、日本における新型コロナワクチン2回接種者数が全国民の50%を超えた。これが70%を超えると集団免疫が構成されて、感染も下火になると言われてきたし、これが全世界共通の大きな目標であっただろう。しかし現状はそう甘くないようだ。9月12日付の新聞に、シンガポールでの感染拡大の記事が掲載されていた。シンガポールは、国民のワクチン接種率が80%以上であり、この数値は世界の中でもトップクラスの接種完了率である。これまで厳しい統制を国民に課してきたシンガポール政府は、この接種率を根拠に、ワクチン接種者を対象に1組5人までの外食を認めるなど、国民の行動制限を緩和した。この背景には長引く行動制限に経済が大きなダメージを受けていたことがあり、新型コロナ対策をコロナ根絶(これは経済的なダメージが大きい)から、新型コロナとの共存という行動規制緩和に舵を切ったのであるが、残念ながら市中感染者は大幅に増大した。規制緩和以降、新規感染者数は連日500名を超え、人口570万人の同国と日本の人口比を考慮すると、日本での1万人以上の新規感染者数に該当する結果となった。水疱瘡レベルの感染力を持つデルタ株が生鮮市場や商業施設の解禁を通じて拡散され、接種完了率が80%を超えていても集団免疫は獲得されなかったと論じられている。
また、自国内のワクチン接種を驚異のスピードで実現し、新型コロナ感染対策の世界的規範といわれてきたイスラエルが、シンガポールと同様の事態になっているようだ。一時期、感染者も激減したイスラエルは、電子的な接種証明書「グリーンパス」を提示することで、屋内のコンサートやスポーツイベントに参加できるようになり、最終的にはマスク着用の義務も撤廃された。しかし、現在はイスラエルでの感染者数が最も多かった今年の冬の水準に近づいており、世界で最も感染拡大が急速に進んでいる地域の一つとなっている。時間の経過とともにワクチンの効果が低下したことを原因と予測し、3回目、4回目のブースター接種が検討、開始されている。
もし、ワクチンの有効期間が予想よりも短いのであれば、新しいワクチンか治療薬が開発されない限り、感染者の増減は繰り返されるのかもしれない。やっと感染者数が減少してきた日本には厳しいと言わざるをえない状況だ。このままいけば、アルファ株から始まった変異株は、デルタ株、ラムダ株、ミュー株、イオタ株と、ギリシャ文字を全部使い切ってしまうような勢いだ。しかし前述のように、ワクチン接種による重症化リスクは確実に低下していることを再認識したい。重症化が防止され医療崩壊しなければ、致死率を低いレベルで維持することは十分に可能だと思う。
ここでワクチン開発の歴史に触れてみる。
ワクチンとは簡単にいえば「毒性を弱めた病原体を注射して体内に免疫を作り、病原体が体内に入ってきた場合には、発病や重症化を防止するもの」である。一般的には1798年にイギリスの医師エドワード・ジェンナーが、牛の乳絞りをする女性は天然痘に罹患しないことを聞き、その応用で牛の天然痘である牛痘から人の天然痘ワクチン(種痘)を作ったのが最初とされ、彼は近代免疫学の父と言われている。しかしワクチンの起源については異説もあり、西暦1000年頃の中国で天然痘の感染者のかさぶたをすりつぶし、未感染者の鼻に吹き込んだという治療法の記録がある。これにより軽い天然痘の症状を起こすことで再感染を防いでいたというが、この人痘接種法では30人に1人が死亡していたそうだ。
ジェンナーが天然痘ワクチンを発見する800年以前から、すでに民間療法としてワクチンの原型が形作られていたのであり、科学の発見や発展の源流は常に民間の歴史の中にあるということだろうか。その後、イタリア人医師ネグリが、牛や羊の皮膚で痘苗を製造する方法を開発し、牛1頭から20万人分の種痘ワクチンが製造できるようになり、ワクチン接種は一般的なものとして普及、天然痘の発症数は年々減少していった。
日本に初めて種痘が渡来したのは1849年。オランダ人によって長崎に伝わった牛痘が江戸に持ち込まれ、日本全国の各藩で子弟に接種され、罹患していない子弟の育成を継代したようである。日本国内での天然痘感染事例は1956年(昭和31年)を最後に確認されておらず、1980年の世界保健総会で天然痘の世界根絶が宣言されるに至った。
今回の新型コロナのように、ワクチンの集団接種が大きな効果を出した成功事例は日本にもある。1960年代に感染が拡大したポリオに対し、日本は経口ワクチンを当時のソビエト連邦とカナダから緊急輸入し、1000万人を超える子供たちに一斉接種した。日本でのポリオ感染拡大を阻止した事例であるといえるだろう。そして現在では天然痘以外にも、はしか、インフルエンザ、水痘、風疹、百日咳、破傷風などもワクチンの接種で予防することができるようになり、現代社会において、感染症対策とワクチンの開発は切り離すことができないものになっている。
ジェンナーの種痘法で人類は大きな恩恵を受けた。
ジェンナーの研究以後、パスツール(狂犬病、ニワトリコレラの発見)、コッホ(結核菌、コレラ菌の発見)、野口英世(黄熱病の研究)、北里柴三郎(ペスト菌の発見、破傷風菌の研究)などへと受け継がれて免疫学は発展し、現在の新型コロナワクチンの研究に至っている。これらの発見や研究は全てジェンナーの種痘が原点となっていることは言うまでもない。それほど大きな功績を残したジェンナーだが、在世当時からその効果の大きさが証明されていたにも関わらず、種痘法に関する特許を取得することはなかった。特許によるワクチンの価格高騰が、豊かではない人々の種痘接種の障害になると考えたからだ。ジェンナーは貧富の差に関係なく、可能な限り多くの命を救うという医師本来の志を実行したといえる。ジェンナー自らの富貴を求める術にしなかった種痘は、人類への贈り物だったといえるだろう。
ジェンナーが生まれたイングランド西部バークレイという酪農の盛んな小さな町にはジェンナー記念館という博物館が建っていて、これはイギリスの独立した文化遺産保存施設の一つになっている。外観の写真を見たが、彼の偉業を称えるには些か質素すぎる趣きであるが、たくさんの命を救うために天然痘に立ち向かったジェンナーにとって、そこは居心地がよい場所なのだろうとも思える。この記念館は慢性的な運営資金不足であったのだが、今回のコロナ禍でさらに来館者が減少し、残念ながら存続の岐路に立っているようだ。ワクチンを発明したジェンナーの記念館が、新型コロナという感染症によって危機に瀕するとは皮肉なものである。個人的には世界的な寄付を募ってでも運営を維持してもらいたいと思う。種痘はそれに値するほどの大きな功績であると思うのは筆者だけだろうか。
新型コロナ感染拡大で人類はワクチンの重要性を再認識した。そして、人類と感染症の戦いは、これからも長く続くだろう。ワクチンを人類への贈り物としたジェンナーに再度、敬意を示しながら、感染症に立ち向かうべきである。
記念館は存続の危機にあるが、ロンドンのハイドパークの奥のひっそりとした場所にジェンナーの像が建てられてと読んだ。慎ましやかな人生を望んだ彼は、その像一つでも十分だと考えたかもしれないし、記念館や像が無くても、彼が歴史に残した偉業が忘れ去られることはない。その像は人類を励ましながら、この新型コロナとの戦いを見つめ続けているだろう。
すべての感染症の撲滅を望みながら。
2021年9月 抱 厚志