【第5回】新しい経済学の潮流とカール・マルクスの資本論

 産業革命前後の出来事を簡単に反芻しておこう。
1776年 アメリカ合衆国独立宣言
1789年 フランス革命
1804年 ナポレオン1世即位
1812年 米英戦争
1861年 南北戦争
1869年 スエズ運河開通
などが主たる出来事であり、政治的にも経済的にも大きな変動があった動乱期である。西ヨーロッパではフランス革命の影響により自由主義とナショナリズムが広がり、ナポレオンの興亡やその反動によるウィーン体制の確立、市民革命が多く勃発した。また、ナショナリズムの高揚により、ドイツ、イタリアなどの新たな統一国家が登場したのもこの時期である。

 産業革命の達成で生産力を上げ、国を工業化させたイギリスが、経済的、かつ軍事的に覇権を握ったのもこの時期でもあり、パックス・ブリタニカと呼ばれる。イギリスはその軍事的背景をもって、世界各国に自由貿易を認めさせ、帝国主義により更に国力を増大させたが、それは後の世界大戦の遠因となった。列強による植民地支配が始まり、アジア、アフリカにとっては苦渋の時代となった。

 産業革命はこうした帝国主義を生み出す原動力になった面もあるが、生産力を高めた国内おいても、資本家と労働者の格差を生むことになり、それは社会的な対立へと発展していく。そうした中で経済学の古典が形成され、生産力向上の研究が行われたが、資本家と労働者の対立はこれだけに留まらず、社会構造もしくは基本的な労働価値の研究へと変わり、この時代より、新しい視点を持った経済学や経済思想が登場する。

 その経緯を簡単に説明すると以下の通りである。
▼古典派経済学
 アダム・スミス
 第3回で紹介したが、『国富論』を著し、重商主義への批判と自由放任主義(レッセフェール)の必要性を説いた。彼が主張した「神の見えざる手」は有名である。

 デイヴィッド・リカード
 『経済学および課税の原理』や比較優位の原理(比較生産費説)で近代経済学の基礎を確立したとされている。

▼新古典派経済学
 限界革命トリオ
 限界革命は、限界効用から始まり、マーシャルの「需要と供給の均衡理論」に完結する理論上の革新を指す。レオン・ワルラス(フランス)、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(イギリス)、カール・メンガー(オーストリア)の3人が中心となって推進された。アダム・スミスやリカードなどの古典派経済学を現代のミクロ経済学に発展させるきっかけとなった経済思想である。ワルラスは、『純粋経済学要論』、ジェヴォンズは『経済学理論』で限界効用理論を展開し、メンガーは『国民経済学原理』において限界効用理論と一般均衡理論を作り出した。

 アルフレッド・マーシャル
 マーシャル(イギリス)は需要と供給の両方を反映して価格が決定する(需要供給曲線)や価格弾力性の理論を提唱し、ミクロ経済学の基礎理論を打ち立てたといわれている。

▼マルクス経済学
 カール・マルクス
 マルクスはドイツ出身の哲学者・経済学者であり、革命家でもある。マルクス主義といわれる共産主義を唱えた。マルクス主義は、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって展開された思想で「科学的社会主義」ともいわれている。

 当時、産業革命により資本主義は更なる成長をとげ、物質主義が支配する思想が広まっていたが、マルクスは資本主義の危険性や未来に対して「唯物史観」として警鐘を鳴らし、新たな体制構築へ向けて革命を企図した。しかし、急進的すぎる思想ゆえにドイツやパリでの活動の場を失ったマルクスは生涯を過ごすことになるロンドンに亡命し、1867年に『資本論』を出版した。マルクスの資本論は、社会主義国としてその後もソビエト連邦、中国、ベトナムなどにおいても実践され、現在の政治経済に大きな影響を与えたので、ここでは少し詳しく解説する。

 資本論は複雑で難解であるが、端的にいうと私有財産制を否定して、財産を共同所有するような社会、労働者としての理想的な平等社会の実現を目指す共産主義的な思想で構成されている。資本論の中では、資本主義で進む工業化が、人々にあたえる悪影響(イギリス労働者階級の子供たちの劣悪な労働環境問題など)を詳しく説明し、『魔法のような新技術は余暇と生活の快適さを増やすどころか、資本と結びついてイギリスの労働者と農民を「白人奴隷」に変えた』(資本論より)と主張した。マルクスは、産業革命によるイギリスの資本主義的共同体社会は必ず崩壊し、その流れはヨーロッパ全土へと拡大、最終的には世界規模にまで達すると考えていたので、自由放任経済を徹底的に否定し、資本主義の転覆を目指した。

 そのようなマルクスの経済理論は、「労働価値説」を根本に据えて構成されている。労働価値説とは「物の価値はその生産のために投下された労働の量によって決定される」とする考えで、我々が購入したり所有したりする全ての商品は、人間の労働が集約されたものであるという考え方である。

 また、マルクスは物の価値を「使用価値」と「交換価値」に分けて考えた。使用価値とは、その生産物の有用性(使って役立つこと)を指し、交換価値とは、その生産物を実際に交換・購入・販売するときの価値を指していて、商品の持つ本質的な価値とそれを実際に購入する際に必要な価値には違いがあるという主張である。現代社会では「労働」が「金銭」に置き換えられて、労働を産出する人間の価値自体も金銭で定義することが可能であり、自分の生み出した労働をいくらの金銭と交換するのかによって、その人の金銭的価値が決まるといえる。

 つまり資本主義社会において、労働が生産の要素であるなら、あらゆるものが商品化され、人間もまた売買の対象となりうるという考え方であり、マルクスはこれを「経済的関係の基礎に奴隷制がある社会」と表現した。労働者は基本的に自分の労働力しか売ることはできず、労働力が生み出した商品を売ることは資本家の特権であり、その利益の大半が資本家のものになっていく現実を指摘した。この労働者と資本家の関係性は自然に生まれたわけではなく、資本主義の発展過程で新たに発生した関係性である。言い換えれば、労働力の価値は労働者が生活を維持するために必要な金銭(家計)の総和と等しく、労働者は自らの生活を営む最低限の金銭しかもらえず、商品の売買で得た余剰価値の大半が資本家の利益となって消えていくのが現実とした。

 また、資本家と労働者の関係は労働時間にも大きな影響を受けている。労働者が労働に費やす時間は資本家にとっても必要な時間であり、労働者にとっては生活費を稼ぐための時間として重要である。マルクスは所定の労働時間が終わってからを余剰労働の時間とし、この時間に生み出された価値は全て、資本家の純利益となると考えた。労働者が一定時間を自分の生活費確保のために費やしたら、それ以外の労働は資本家の利益のためにしかならないのが事実であり、資本家の利益とは、労働者の余剰労働から発生し、奴隷制度と資本主義の違いは搾取の度合でしか定義できないと述べている。これをマルクスは『資本は死せる労働であり、それは吸血鬼のように生きた労働の血を吸い取ることによって生きる。吸い取る量が多ければ多いほどそれだけ多く生き延びる』(資本論より)と表現している。

 マルクスは共産主義を通じて、労働者にとって絶対的平等なユートピアを目指し、資本主義の廃絶を唱えたが、現在のところ、世界から資本主義は無くなってはいない。逆に旧ソビエト連邦構成共和国などの社会主義のように、政治・経済の破綻により存在できなくなってしまった国も多い。

 一方、中国のように修正された社会主義により国力を伸長させている国も存在する。マルクスの唱える共産主義は当時としては革新的であったが
1.資本主義における競争の原理
2.技術革新(特に大量生産)による商品価値の低下
3.労働者自身が資本家になる可能性(株式や不動産などへの投資)
4.労働者が商品の販売側に転じる可能性
などを無視、排除したことにより、資本主義にとって代わることができなかった。

 産業革命で生じた資本家による労働者の支配は、イギリスの工場法の制定から始まる長い歴史の中で労働環境も改善され、労働者の地位は向上した。

 生産管理において共産主義の考え方が、労働者のモチベーションを下げ(サボり)、企業競争力の欠如に繋がったことで大きな効果を出したとはいえないが、労働者の地位向上や労働環境の改善などには一定の影響を与えたといえるだろう。

▼ケインズ経済学
 ジョン・メイナード・ケインズ
 イギリスの経済学者でケインズ経済学の始祖。ケインズ経済学が生まれる契機となったのは、1930年代の世界恐慌であり、その対策として出版された『雇用、利子および貨幣の一般理論』である。この本は、それまでの経済学の考え方(古典派経済学が主張する均衡財政)を一変させたといわれている。ケインズは市場の自動調整機能による完全雇用は実現しないと考え、政府の介入を主張した。ケインズは、経済をストックとフローの2つに分け、金利生活者/ストックに対しては金融政策を実施、そして労働者階級・企業家階級/フローに対しては財政政策を実施することが有効であると唱えた。

 ケインズの考え方は、有効需要が雇用量や国民所得などの国の経済規模を決定するという「有効需要の原理」と政府による財政支出の派生効果により、その何倍もの需要を生み、有効需要を押し上げる乗数効果に集約することができた。また、流動性の高い貨幣を持とうとする「流動性選好」についても言及し、この後の工場経営や生産管理はこれらの影響を強く受けることとなった。

▼新自由主義
 新自由主義とは政府の財政政策による経済への介入を批判し、市場の自由競争によって経済の効率化と発展を実現しようとする思想である。

 ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス
 オーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者でオーストリア学派に属した。1920年代から40年代にかけて盛んになった社会主義計算論争に参加し、市場による価格決定と利潤追求の完全な自由が認められる制度を持つ社会だけが繁栄する、故に政府は経済に関与せず、市場の主導に任せるべきであると主張した。経済学と倫理や義務との無関係を説き、経済学はあくまでも人間の行為を対象とする科学であると考えた。

 フリードリッヒ・ハイエク
 オーストリア出身の経済学者。オーストリア学派の経済学者、新自由主義者の筆頭としても有名な人物である。主な著作には「隷属への道」(1944年)、「貨幣発行自由化論」(1976年)があり、「隷属への道」では、政府の計画と指令が主導する経済では効果的な資源配分が不可能で、国家の目標が個人の人生の選択肢を狭めると唱えた。新自由主義は政府の役割を最小限にとどめ、経済を市場原理に任せることを主張する思想で、アダム・スミスの自由放任主義の延長線上にあり、市場原理による自動調整メカニズムの信頼が前提にある。ハイエクは、市場には自生的秩序(秩序)と設計的秩序(組織)の2つが存在し、自生的秩序(秩序)という個々人の自由な活動の相互調整の結果によって作られた秩序が重要であると説いた。また貨幣の発行の権限を民間に移管し、市場に任せるべきであるという貨幣発行自由化論を発表した。ハイエクは1974年にノーベル経済学賞を受賞している。

 ミルトン・フリードマン
 アメリカの経済学者。新自由主義者のフリードマンは、自由主義として政府の規制を否定し、政府のあり方として2つの原則を提案している。
1.政府は国防に徹する
2.政策は政府ではなく、地方自治体に任せるべき(小さな政府)
フリードマンは、マネタリズム(貨幣数量説)を提唱するマネタリストとしても著名である。マネタリズムとは、中央銀行が貨幣の量を統制すれば、物価や景気をコントロールできるという考えで、貨幣供給量の変化が、経済成長やインフレに対して大きな影響を与えると唱えた。また、貨幣はあくまで取引の仲介をするだけであり、国民所得に対して影響を与えないとする「貨幣の中立性」も主張している。フリードマンも1976年にノーベル経済学賞を受賞している。

 今回は産業革命以降から近代までの経済学及び経済思想の大きな流れを解説してきた。直接的に生産管理に関係するものばかりではないが、生産管理が経営管理の一端であり、経営は経済に大きな影響を受けるものである限りは、経済学の流れと概要を知っておくことは無駄ではない。

 産業革命の登場で製造業が国や社会の形を変えた。
生産性の向上は資本家と労働者の社会的格差を生み、資本主義に対抗する社会主義思想が登場した。しかし、思想が変われど、その基本は社会全体の生産性にあると考えるべきである。

 次回からは具体的な「改善技法」に入らせて頂く。

2022年12月 抱 厚志